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ゴッホ展 こうして私はゴッホになった [アート&デザイン]

何度も見ているのに何度も見たくなるアーティスト、作品があります。ゴッホもその一人。

六本木の国立新美術館で開催中の没後120年ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」を鑑賞してきました。
20101119 ゴッホ展.jpg
灰色のフェルト帽の自画像(部分)1887-88年、ファン・ゴッホ美術館蔵

今年2010年はVincent Van Gogh(1853-1890)の没後120年。
オランダで生まれたゴッホが27歳で画家になることを決意し、独学で絵を学んだ彼が同時代の画家たちや作品からさまざまなものを吸収、影響を受け、あの独特の鮮やかな色彩やhatching(線描)と呼ばれる激しい筆遣いによる絵画スタイルを確立した流れが見られます。
オランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館のコレクションから油彩画、素描などが来日出展。ゴッホがゴーギャンと一時期一緒に暮した南仏、アルルの黄色い家の寝室も会場に再現されています。

会場構成と主な展示作品は次のとおり。

Ⅰ 伝統-ファン・ゴッホに対する最初期の影響
バルビゾン派、フランスの写実主義、オランダのハーグ派の作品に親しみ、手本にした。
ジャン=フランソワ・ミレー「漁師の妻」、ギュスターヴ・クールベ「マグロンヌの地中海風景」など。
一連の絵画には哀愁が漂っています。

Ⅱ 若き芸術家の誕生
独学で絵画を学んだゴッホは、素描力が基本中の基本と考え、さまざまな作品、版画の図版の模写を試みた。独学の彼が生涯で唯一の師、アントン・モーヴから指導を受けた。(1881年の夏と81年から82年の冬の2回)
ジャン=フランソワ・ミレー「掘る人」、ゴッホの「掘る人」「種まく人」など。ゴッホはミレーの影響を受けて、かなりの点数の農民を描いている。

Ⅲ 色彩理論と人体の研究-ニューネン
1883年暮れにフランスのニューネンに移住。84年の春から夏にかけてドラクロワの色彩理論を学び、静物や農民の頭部の習作を試みる。
「刈る人」「籠いっぱいのじゃがいも」など。

Ⅳ パリのモダニズム
アントウェルペンで2か月を過ごし、1886年2月にパリに移住。ドラクロワの色彩理論を習得したゴッホは、数多くの手段や様式を試み、常に自分自身の様式を発展させようとしていた。古典的な巨匠たちを尊敬する一方で、新しい世代の芸術家たち(印象派など)も称賛。この時代に影響を受けたものとしてスーラやシニャックの「点描」、ロートレックの「薄塗り絵画」、日本の浮世絵版画の大胆な構図、トリミングがある。

Ⅴ 真のモダン・アーティストの誕生-アルル
1888年2月にアルルに移住。それまでに学んだ芸術のあらゆる要素が一気に開花。
1888年10月後半から12月末までの9週間、ゴーギャンと送った共同制作。しかし、ゴッホの耳切り事件で共同生活はピリオド。しかし、その後もゴッホ、ゴーギャン、二人の共通の友人エミール・ベルナールの間では文通による芸術論議が交わされた。
「アルルの寝室」「ゴーギャンの椅子」「ある男の肖像」など。

Ⅵ さらなる探求と様式の展開-サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
1889年から90年にかけてサン=レミの療養院で精神的な病みを癒しながら過去の作品の再創造に取り組む。強烈な青と黄を用いた色彩、独特な線描による表現。
「サン=レミの療養院の庭」「アイリス」など。

【おまけ】
展覧会のショップで買ったもの。
20101119 ゴッホ展1.jpg

絵画「アイリス」から飛び出してきたような花。
「タマネギの皿のある静物」をイメージした浅野屋ベーカリー(東京ミッドタウン)作のパン・ゴッホ。ゴッホ絵画の特徴の黄色がカレーで表現されています。

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