シンガポール散策 Civic District [旅 シンガポール]
シンガポールでの朝の散策、結局、出発日以外は毎日実行できました。
最終日はCivic District
シティとも呼ばれるこの地域は歴史的な建造物が残っていて、建築好きの私には歩いていて非常にワクワクするエリアです。
Raffles Boulevardをマリーナ・ベイと反対方向にしばらく行くと、Raffles Hotelの優美な白亜の建物が現れます。
Shopping Arcadeを抜けると
Bras Basah RoadとVictoria Streetが交差する角に建っているのがCathedral of the Good Shepherd
シンガポールで最古のローマンカソリックの教会。シンプルで落ち着いた色調の建物
Victoria Streetをはさんで反対側にあるのがCHIJMESというかつはカソリックの修道院だった建物で、今はレストランやショップなどが入っている複合施設。華奢な建築が素敵です。
さらに歩を進めるとStamford Houseがあります。ラッフルズ・ホテルと同じ建築家によるもの。
その並びに中国風の建物。Singapore Chinese Chamber of Commerce & Industry
反対側には真っ白なAmerican Church
1835年に完成したシンガポールに現存する最古のキリスト教の教会
このコロニアル様式の建物はCivil Defence Heritage Gallery
消防署も入っています
いけない7時20分、そろそろホテルに戻らなきゃ。
数少ない英国ゴシック復古建築の一つ、St. Andrew's Cathedralです。
1837年に完成したものの二度の落雷により危険とみなされ取り壊され、現在の建物が造られたとのこと。
North Bridge通りの反対側の角に建つのがCapitol Building
1931年に完成したネオクラシカル様式の建築。かつて映画館が入っていた。
War Memorial Parkには白く高い「日本占領時期死難人民紀念碑」がそびえています。
意識をしないとなかなか知る機会のない過去の歴史。
これを機会にシンガポールの歴史について調べてみた。
1819年、東インド会社のStamford Rafflesがはじめてシンガポールの地に降り立ち、中国・インド間の貿易中継地点として注目。
彼は、当時支配下にあったスルタンからシンガポールの地を買収し、1824年に正式にイギリスの植民地となり(英蘭協定)、シンガポールを自由貿易港とした。
第二次世界大戦が始まり、日本が参戦を決めると、イギリスのアジアにおける拠点であるシンガポールは日本軍によって攻撃され、1942年2月15日、日本軍によって占領された。軍国主義政策のもと、日本軍はマレー人、インド人を優遇したため、中国人の間で反発が広がり、日本軍は中国人を反日分子として拘束、拷問を行い、中国系住民を殺害した。
1945年の日本の敗戦後、シンガポールは再びイギリスの植民地となるが、1948年に民族独立運動が活発になり(その中心となったのがリ・クァンユー元首相が率いる人民行動党)、1963年9月16日にマラヤ、サバ、サラワクとともにマレーシア連邦を結成し、イギリスから独立。
しかし、マレーシアのマハティール首相による「マレー人優遇政策」によってマレー系住民と中国系住民の間で衝突が起きるようになり、1965年8月9日、リー・クァンユー氏は中国系住民を率いてシンガポールとしてマレーシア連邦から分離独立を果たした。
学校で勉強していたときには決して理解できなかったことが、年を重ね、経験を積むことでわかることがある。
シンガポール紀行、これにておしまい。
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最終日はCivic District
シティとも呼ばれるこの地域は歴史的な建造物が残っていて、建築好きの私には歩いていて非常にワクワクするエリアです。
Raffles Boulevardをマリーナ・ベイと反対方向にしばらく行くと、Raffles Hotelの優美な白亜の建物が現れます。
Shopping Arcadeを抜けると
Bras Basah RoadとVictoria Streetが交差する角に建っているのがCathedral of the Good Shepherd
シンガポールで最古のローマンカソリックの教会。シンプルで落ち着いた色調の建物
Victoria Streetをはさんで反対側にあるのがCHIJMESというかつはカソリックの修道院だった建物で、今はレストランやショップなどが入っている複合施設。華奢な建築が素敵です。
さらに歩を進めるとStamford Houseがあります。ラッフルズ・ホテルと同じ建築家によるもの。
その並びに中国風の建物。Singapore Chinese Chamber of Commerce & Industry
反対側には真っ白なAmerican Church
1835年に完成したシンガポールに現存する最古のキリスト教の教会
このコロニアル様式の建物はCivil Defence Heritage Gallery
消防署も入っています
いけない7時20分、そろそろホテルに戻らなきゃ。
数少ない英国ゴシック復古建築の一つ、St. Andrew's Cathedralです。
1837年に完成したものの二度の落雷により危険とみなされ取り壊され、現在の建物が造られたとのこと。
North Bridge通りの反対側の角に建つのがCapitol Building
1931年に完成したネオクラシカル様式の建築。かつて映画館が入っていた。
War Memorial Parkには白く高い「日本占領時期死難人民紀念碑」がそびえています。
意識をしないとなかなか知る機会のない過去の歴史。
これを機会にシンガポールの歴史について調べてみた。
1819年、東インド会社のStamford Rafflesがはじめてシンガポールの地に降り立ち、中国・インド間の貿易中継地点として注目。
彼は、当時支配下にあったスルタンからシンガポールの地を買収し、1824年に正式にイギリスの植民地となり(英蘭協定)、シンガポールを自由貿易港とした。
第二次世界大戦が始まり、日本が参戦を決めると、イギリスのアジアにおける拠点であるシンガポールは日本軍によって攻撃され、1942年2月15日、日本軍によって占領された。軍国主義政策のもと、日本軍はマレー人、インド人を優遇したため、中国人の間で反発が広がり、日本軍は中国人を反日分子として拘束、拷問を行い、中国系住民を殺害した。
1945年の日本の敗戦後、シンガポールは再びイギリスの植民地となるが、1948年に民族独立運動が活発になり(その中心となったのがリ・クァンユー元首相が率いる人民行動党)、1963年9月16日にマラヤ、サバ、サラワクとともにマレーシア連邦を結成し、イギリスから独立。
しかし、マレーシアのマハティール首相による「マレー人優遇政策」によってマレー系住民と中国系住民の間で衝突が起きるようになり、1965年8月9日、リー・クァンユー氏は中国系住民を率いてシンガポールとしてマレーシア連邦から分離独立を果たした。
学校で勉強していたときには決して理解できなかったことが、年を重ね、経験を積むことでわかることがある。
シンガポール紀行、これにておしまい。
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学校で勉強していたときには決して理解できなかったことが、年を
とると・・・ホントですよね
これは歳をかさねる喜びでもあります。
by まるち (2011-12-06 06:32)
おお 我が第二の故郷.
また、発展していましたか?
by いんぷれっこ (2011-12-06 22:07)
★まるちさん、肉体的にはあまりいいことがありませんが、精神的には年を重ねるのって素敵なことだなぁ、と思う今日この頃。
by いっこ (2011-12-07 00:01)
★いんぷれっこさん、シンガポールの街中をゆっくり歩いたのは今回が初めてと言ってもいいくらい。しかも、ベイエリア限定。
比較のしようがないんですよねぇ、残念ながら。
by いっこ (2011-12-07 00:04)
私はアジア方面は、ホントに全然知らないので、いっこさんにまるでアジア各方面に連れて行ってもらっているようで、読んでいて楽しいです。これが作家たちも贔屓にしていたラッフルズホテルですね~。しかし、いっこさんの海外出張、止まりませんね。。。
少しでもゆっくりと休養して下さいね!
by ラパン (2011-12-07 02:01)
★ラパンさん、ここ数か月の私のパスポート、アジア雑貨のバイヤーでもしているのか?というくらいの入出国状態です。(マレーシア、ブルネイ、北京、上海、シンガポール、香港)
香港からの帰り、羽田空港の税関で「観光ですか?荷物はこれだけですか?」と明らかに不審に思っている質問をされました。スーツケースを開けてくださいとは言われませんでしたが。
by いっこ (2011-12-07 20:56)
そうなんですね
てっきり 詳しいものだとばっかり
by いんぷれっこ (2011-12-08 20:24)
★いんぷれっこさん、ごめんなさい。あしからず。。
by いっこ (2011-12-08 22:17)