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上野のパンダ全員集合 [東京 お出かけ]

日曜の午後から上野に出かけたのは国立科学博物館で展示中のパンダのはく製を見るため。(12月23日~4月5日、日本館1階中央ホール)

20090222 科博パンダ展4.JPG

1972年9月に日中国交正常化のために当時の田中角栄首相が中国を訪問し、10月にカンカンランランの2頭が上野動物園にやってきたのが日本のパンダの始まりです。

向かって左がカンカン(オス)、右がランラン(メス)
20090222 科博パンダ展5.JPG

パンダの歴史をおさらいすると、
7年後の1979年、ランランが死亡。その時、ランランのお腹の中には赤ちゃんがいたという話を覚えています。
代わりに1980年にホァンホァン(メス)が来日。同年、今度はカンカンが死亡。
1982年にお婿さんとして来園したフェイフェイ(オス)との間に第一仔チュチュが生まれたが残念ながら二日後に死亡。しかし、第二仔トントン(メス)、第三仔ユウユウ(オス)が誕生。ホァンホァンは子育て上手なお母さんでした。
1992年に国交正常化20周年を記念してユウユウとリンリン(オス)を交換。
1994年から2000年にかけてフェイフェイ、ホァンホァン、トントンと順に死亡。

トントンです。パンダって意外に耳が立っているんですね。

20090222 科博パンダ展6.JPG
(足元に生後二日で死亡したチュチュのホルマリン漬けも展示されていました。体はピンク色で羽毛程度しか生えていないのに耳はすでに少し黒っぽいんです)

1頭だけとなったリンリンはブリーディングローン(繁殖のための貸出)でメキシコへ三度渡航。逆にメキシコからシュアンシュアンが来園したがペアリングは成功せず、2008年4月に最後のパンダとなったリンリンが22歳で亡くなり上野動物園にパンダはいなくなりました。

リンリンの姿です。
20090222 科博パンダ展3.JPG

初来日からのパンダの映像を上映していましたが、おしりを左右に揺すりながら歩く姿がなんとも愛らしい。そういえば、小学生の頃、パンダの貯金箱を持っていました。(まだ実家に置いてあるかなぁ?)

今回は上野動物園にいたパンダ6頭のはく製を見るのが第一の目当てでしたが、建築そのものをじっくり見学するのも目的でした。ほかに、常設展なども見てまわり、これで入館料600円とはお値打ちです。(建築と常設展は別の記事でご紹介します)

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