京都御所 特別公開 [旅 関西]
天皇皇后両陛下ご結婚満50周年記念の京都御所 特別公開に行ってきました。
(私も皇居警察の一員です)
京都御所は14世紀以来、500年以上、明治天皇が東京に遷られるまで皇居とされた場所です。その間、焼失と再建が繰り返され、現在の建物のほとんどは安政2年(1855)に再建されたものです。
毎年、一般公開されますが、今年は特別公開ということで例年の公開範囲に加えて普段は見られないところも公開されました。
では、順路に沿っていくつかご紹介します。
(1)御車寄(おくるまよせ)
昇殿を許された者が正式に参内するときの玄関。
(2)諸大夫の間(しょだいぶのま)
正式に参内した者の控えの間。身分の上下によって異なった部屋に控えた。
(3)新御車寄(しんみくるまよせ)
大正以後の天皇皇后両陛下の玄関。
(停まっているのは偽装馬車2号。天皇皇后両陛下のご結婚の馬車列に使用された)
(4)承明門
朱色の門の向こうに見えるのは紫宸殿。
(5)紫宸殿(ししんでん)
即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿。大正、昭和天皇の即位礼もここで行われた。入母屋桧皮葺の高床式宮殿建築。
(中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」、その東に皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれている)
廂の下の木の組み方が複雑。
(6)清涼殿
平安時代、天皇が日常の御生活の場として使用された御殿。入母屋桧皮葺の寝殿造り。
(7)小御所(こごしょ)
皇太子の元服などの儀式に用いられ、将軍や諸侯と対面される場所などにも使用された。寝殿造りから書院造りへ移行する時期の建築様式。
(8)御池庭、蹴鞠の庭
(9)御学問所
学問だけでなく、親王宣下、月次(つきなみ)の和歌の会などにも使われた。入母屋桧皮葺の書院造り。
(10)御常御殿
室町時代以降、天皇が日常のお住まいとして使用された御殿。入母屋桧皮葺の書院造り。
(11)御内庭
青楓の緑と赤の色彩が雨にぬれて鮮やか。
(12)御三間
(13)皇后宮常御殿(こうごうぐうつねごてん)
16世紀の終わり頃から、女御あるいは皇后の日常のお住まいとして造営された御殿。入母屋桧皮葺の書院造り。
(14)玄輝門、朔平門
女御入内の儀式の際に用いられた。
(15)飛香舎(ひぎょうしゃ)
女御入内の儀式が執り行われた建物。元来、女御が日常過ごしていたところ。藤壺とも呼ばれた。
(16)若宮・姫宮御殿
皇子・皇女の御殿。
築地塀で囲まれた京都御所、とにかく広い。面積は約11万㎡。隣接する京都御苑と合わせると町の一角を占めてしまう広大な敷地です。
源氏物語の世界を垣間見た気分。
【おまけ】
両親へのお土産に京都の和菓子の老舗、鶴屋吉信製の工芸菓「菊華」をお買い上げ。
抹茶餡の上に錦玉になっている上品な味。
うちの両親、あと数年でダイヤモンド婚(60周年)。元気でいてほしい。
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(私も皇居警察の一員です)
京都御所は14世紀以来、500年以上、明治天皇が東京に遷られるまで皇居とされた場所です。その間、焼失と再建が繰り返され、現在の建物のほとんどは安政2年(1855)に再建されたものです。
毎年、一般公開されますが、今年は特別公開ということで例年の公開範囲に加えて普段は見られないところも公開されました。
では、順路に沿っていくつかご紹介します。
(1)御車寄(おくるまよせ)
昇殿を許された者が正式に参内するときの玄関。
(2)諸大夫の間(しょだいぶのま)
正式に参内した者の控えの間。身分の上下によって異なった部屋に控えた。
(3)新御車寄(しんみくるまよせ)
大正以後の天皇皇后両陛下の玄関。
(停まっているのは偽装馬車2号。天皇皇后両陛下のご結婚の馬車列に使用された)
(4)承明門
朱色の門の向こうに見えるのは紫宸殿。
(5)紫宸殿(ししんでん)
即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿。大正、昭和天皇の即位礼もここで行われた。入母屋桧皮葺の高床式宮殿建築。
(中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」、その東に皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれている)
廂の下の木の組み方が複雑。
(6)清涼殿
平安時代、天皇が日常の御生活の場として使用された御殿。入母屋桧皮葺の寝殿造り。
(7)小御所(こごしょ)
皇太子の元服などの儀式に用いられ、将軍や諸侯と対面される場所などにも使用された。寝殿造りから書院造りへ移行する時期の建築様式。
(8)御池庭、蹴鞠の庭
(9)御学問所
学問だけでなく、親王宣下、月次(つきなみ)の和歌の会などにも使われた。入母屋桧皮葺の書院造り。
(10)御常御殿
室町時代以降、天皇が日常のお住まいとして使用された御殿。入母屋桧皮葺の書院造り。
(11)御内庭
青楓の緑と赤の色彩が雨にぬれて鮮やか。
(12)御三間
(13)皇后宮常御殿(こうごうぐうつねごてん)
16世紀の終わり頃から、女御あるいは皇后の日常のお住まいとして造営された御殿。入母屋桧皮葺の書院造り。
(14)玄輝門、朔平門
女御入内の儀式の際に用いられた。
(15)飛香舎(ひぎょうしゃ)
女御入内の儀式が執り行われた建物。元来、女御が日常過ごしていたところ。藤壺とも呼ばれた。
(16)若宮・姫宮御殿
皇子・皇女の御殿。
築地塀で囲まれた京都御所、とにかく広い。面積は約11万㎡。隣接する京都御苑と合わせると町の一角を占めてしまう広大な敷地です。
源氏物語の世界を垣間見た気分。
【おまけ】
両親へのお土産に京都の和菓子の老舗、鶴屋吉信製の工芸菓「菊華」をお買い上げ。
抹茶餡の上に錦玉になっている上品な味。
うちの両親、あと数年でダイヤモンド婚(60周年)。元気でいてほしい。
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祇園 柚子屋旅館 [旅 関西]
京都 高台寺 [旅 関西]
春の特別拝観とライトアップを行っていた高台寺に行ってきました。
高台寺は臨済宗建仁寺派の寺。
豊臣秀吉の妻、北政所(ねね、高台院)が秀吉の没後、菩提を弔うため、徳川家康の援助を受けて慶長11年(1606)に創建しました。
現在残っているの開山堂、霊屋(おたまや)、傘亭、時雨亭、表門、観月台は国の重要文化財に指定されています。
開山堂と観月台。観月台は三方に唐破風をつけた屋根の下から月を観るための建物。
庭園は小堀遠州の作によるもの。
開山堂と霊屋を結ぶ廊下・階段、臥龍廊。龍の背に似ているところから名づけられたそうです。
霊屋内の厨子左右には秀吉と北政所の木像を安置しています。厨子には有名な「高台寺蒔絵」が施されています。
建物の庇部分の彩色が華やか。
方丈前庭の枯山水の白い砂に描かれた線が美しい。
夕暮れの竹林もライトアップされて神秘的です。
ねねの道をはさんだ反対側にある圓徳院(ねねが77歳で没するまで19年間の余生を送った所)と高台寺ゆかりの品々を展示している掌美術館も合わせて鑑賞し、神幸道(しんこうみち)を通って八坂神社となりの宿に戻ったのでした。
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高台寺は臨済宗建仁寺派の寺。
豊臣秀吉の妻、北政所(ねね、高台院)が秀吉の没後、菩提を弔うため、徳川家康の援助を受けて慶長11年(1606)に創建しました。
現在残っているの開山堂、霊屋(おたまや)、傘亭、時雨亭、表門、観月台は国の重要文化財に指定されています。
開山堂と観月台。観月台は三方に唐破風をつけた屋根の下から月を観るための建物。
庭園は小堀遠州の作によるもの。
開山堂と霊屋を結ぶ廊下・階段、臥龍廊。龍の背に似ているところから名づけられたそうです。
霊屋内の厨子左右には秀吉と北政所の木像を安置しています。厨子には有名な「高台寺蒔絵」が施されています。
建物の庇部分の彩色が華やか。
方丈前庭の枯山水の白い砂に描かれた線が美しい。
夕暮れの竹林もライトアップされて神秘的です。
ねねの道をはさんだ反対側にある圓徳院(ねねが77歳で没するまで19年間の余生を送った所)と高台寺ゆかりの品々を展示している掌美術館も合わせて鑑賞し、神幸道(しんこうみち)を通って八坂神社となりの宿に戻ったのでした。
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京都 祇園・東山を散策 [旅 関西]
今回は祇園に宿をとり、訪れた場所も東山エリアが中心。
散策しながら見つけた‘京都’をご紹介します。
京都の代表的な春の催し「都をどり」(祇園甲部の舞妓・芸妓の舞踊公演)の時期でした。写真は花見小路の角にある有名なお茶屋(歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』に登場)一力亭の赤壁。
都をどりとお茶屋さん、いつか実際に華やかな様子を見てみたいものです。
六波羅蜜寺付近、六道之辻にある西福寺の境内に足を踏み入れると販売されているロウソクと線香の缶箱の横に黒猫が一匹。「黙って盗っていっちゃダメよ」と無言で諭しているかのように座っていました。
八坂通を歩いていたら季節の花、藤とツツジが雨にぬれて綺麗に咲いていました。
聖徳太子が建立した八坂の塔(法観寺)が正面に見え、その少し手前に八坂庚申堂があります。
表門の上には庚申さんのお使いの三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)がいます。
近くの家々の軒先に人の心をコントロールする「くくり猿」がぶら下がっています。人間の中にある欲望が動かないように庚申さんによってくくりつけられているそうです。
ねねの道を通って階段を上がると靄がかかった幻想的な雰囲気の山を背後にした霊山観音(りょうぜんかんのん)の姿が見えます。
高台寺の境内から祇園閣の変わった建物が見えます。
祇園祭の鉾の形をしている銅閣で頂上に鶴が飾られているそうです。
【おまけ】
京都での唯一の外食。と言っても屋台で買ってその場で食べたのですが。
ちょぼ福というお店のたこ串。ダシがきいて熱々がおいしかった。
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散策しながら見つけた‘京都’をご紹介します。
京都の代表的な春の催し「都をどり」(祇園甲部の舞妓・芸妓の舞踊公演)の時期でした。写真は花見小路の角にある有名なお茶屋(歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』に登場)一力亭の赤壁。
都をどりとお茶屋さん、いつか実際に華やかな様子を見てみたいものです。
六波羅蜜寺付近、六道之辻にある西福寺の境内に足を踏み入れると販売されているロウソクと線香の缶箱の横に黒猫が一匹。「黙って盗っていっちゃダメよ」と無言で諭しているかのように座っていました。
八坂通を歩いていたら季節の花、藤とツツジが雨にぬれて綺麗に咲いていました。
聖徳太子が建立した八坂の塔(法観寺)が正面に見え、その少し手前に八坂庚申堂があります。
表門の上には庚申さんのお使いの三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)がいます。
近くの家々の軒先に人の心をコントロールする「くくり猿」がぶら下がっています。人間の中にある欲望が動かないように庚申さんによってくくりつけられているそうです。
ねねの道を通って階段を上がると靄がかかった幻想的な雰囲気の山を背後にした霊山観音(りょうぜんかんのん)の姿が見えます。
高台寺の境内から祇園閣の変わった建物が見えます。
祇園祭の鉾の形をしている銅閣で頂上に鶴が飾られているそうです。
【おまけ】
京都での唯一の外食。と言っても屋台で買ってその場で食べたのですが。
ちょぼ福というお店のたこ串。ダシがきいて熱々がおいしかった。
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京都 六波羅蜜寺 [旅 関西]
天暦5年(951)、疫病平癒のため醍醐天皇第二皇子の光勝空也上人により開創された西国第十七番札所霊場、真言宗寺院の六波羅蜜寺。
空也上人は天皇の皇子でありながら若くして出家。森羅万象に生命を感じ、ただ南無阿弥陀仏を称え、今日あることを喜び、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えたそうです。
前から気になっていた、この立像が見たかったのです。(鎌倉時代、運慶の四男康勝の作。重要文化財)
胸に金鼓、右手に鐘木、左手に鹿の角をつけた杖をつき、行脚しやすいように膝をあらわにした格好で、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承をあらわした彫刻です。
宝物館には空也上人立像のほかにも平清盛坐像や薬師如来坐像などの重要文化財に指定されている木造彫刻が十数点、安置されています。
本堂厨子には空也上人の自刻と伝えられる国宝の十一面観音立像が本尊として祀られていて、訪れた時は好運なことにちょうど御開帳の日にあたり拝むことができました。
また、都七福神の一、巳成金弁財天がまつられている所でもあります。
【おまけ(学習の記録)】
六波羅蜜とは(拝観券に書いてあった解説より)
布施 見返りを求めない応分の施しをさせていただくこと。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すこと。
持戒 道徳、法律等は人が作り、現在はますます複雑になっている。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒めることが肝要である。
忍辱 如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことができれば苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかる。
精進 不断の努力のこと。我々、人の生命には限りがある。ひとときも無駄にすることなく、日々誠心誠意尽くすことである。
禅定 冷静に第三者の立場で自分自身を見つめること。
智慧 我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけている。しかし、貪りや怒り、愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちである。
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空也上人は天皇の皇子でありながら若くして出家。森羅万象に生命を感じ、ただ南無阿弥陀仏を称え、今日あることを喜び、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えたそうです。
前から気になっていた、この立像が見たかったのです。(鎌倉時代、運慶の四男康勝の作。重要文化財)
胸に金鼓、右手に鐘木、左手に鹿の角をつけた杖をつき、行脚しやすいように膝をあらわにした格好で、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承をあらわした彫刻です。
宝物館には空也上人立像のほかにも平清盛坐像や薬師如来坐像などの重要文化財に指定されている木造彫刻が十数点、安置されています。
本堂厨子には空也上人の自刻と伝えられる国宝の十一面観音立像が本尊として祀られていて、訪れた時は好運なことにちょうど御開帳の日にあたり拝むことができました。
また、都七福神の一、巳成金弁財天がまつられている所でもあります。
【おまけ(学習の記録)】
六波羅蜜とは(拝観券に書いてあった解説より)
布施 見返りを求めない応分の施しをさせていただくこと。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すこと。
持戒 道徳、法律等は人が作り、現在はますます複雑になっている。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒めることが肝要である。
忍辱 如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことができれば苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかる。
精進 不断の努力のこと。我々、人の生命には限りがある。ひとときも無駄にすることなく、日々誠心誠意尽くすことである。
禅定 冷静に第三者の立場で自分自身を見つめること。
智慧 我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけている。しかし、貪りや怒り、愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちである。
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京都南座 [建築&インテリア]
京都南座の歴史とともに建物をご紹介します。
・元和年間(1615-1623)に京都四条河原付近に公許された七つの櫓(やぐら)のうち今も残る唯一の劇場。塔屋の上に梵天(幣帛)が二本飾られている。
・明治39年(1906)より白井松次郎、大谷竹次郎兄弟の松竹合名社が経営にあたる。提灯にも松と竹の紋が描かれています。
・大正2年に改築。さらに昭和4年、由緒ある櫓を備えた桃山風破風造りの豪華な劇場を竣工。
・平成3年(1991)、内部を全面改修。最新設備の近代劇場として改装。
こちら客席天井です。昔の芝居小屋は屋外で舞台だけに屋根がついていたことから今でもその名残で舞台の客席側の天井に屋根がついています。
・平成8年、南座の建物は国の登録有形文化財に指定。
内部の照明、ドア、階段の細部にいたるまで意匠が凝らされています。
今回の歌舞伎鑑賞教室では「幕」についても学びました。
定式幕(じょうしきまく)
おなじみの黒・柿・萌黄の三色の縦縞の幕。(最近では永谷園など似たような色合わせがありますが、歌舞伎で使われたのが最初です)
左に見えるのが花道。全体の長さのうち、やや舞台寄りのあたりを七三と呼び、役者が立ち止まって台詞を言ったり見栄をきったりする場所です。
また、南座には迫(せり)が11個もあるそうで、幻想的な照明のなか音楽に合わせて回転舞台を使って11のせりが一気に上がり下がりする滅多に見られない圧巻のショーを見せてくれました。鑑賞教室の醍醐味です。
浅黄幕(あさぎまく)
歌舞伎の舞台装置の中でも幕は重要な役割を果たします。
薄い水色(あさぎ色)の幕は昼を表す背景として使用されるほか、舞台前方に吊るして舞台転換を隠す際にも使われます。そして柝(ひょうしぎ)の合図で瞬時に幕を落とすことを「振り落とし」と言います。瞬時に場面転換できるスグレモノの舞台装置です。
歌舞伎用語から慣用句になった言葉も多く、「幕を切って落とす」とは、歌舞伎の開演時、舞台の幕の上部をはずして一気に落とすことに由来した言葉で、物事を華々しく始めるという意味になりました。
「チョンパ」という表現があるそうですが、暗転から照明がついてパッと明るくなるさまを表す業界用語です。
歌舞伎においては黒は「無の色」という暗黙の了解があります。
全身黒づくめの衣裳で黒い頭巾をかぶった人が時々舞台上に現れ役者の早替わりの仕掛けを手伝ったり要らなくなった小道具を片付けたりしますが、黒衣後見(くろごこうけん)と言います。この人は黒=無なので、舞台上ではいわゆる透明人間なのです。
自分は表に出ないで裏で人をあやつる人を「黒幕」と呼びますが、これも歌舞伎からきた言葉。
登場人物が死んで、同じ場所で話が続いていく場合、「消し幕」という黒い幕で死体の役者を包み隠し、舞台から退場させます。黒は無を意味しますから、観客は実際には見えていても黒い幕の裏のできごとは見えないものとして了解するのです。
このように一層、歌舞伎の奥深さを感じることができた鑑賞教室でした。
【おまけ】
劇場でのトイレはとにかく込み合います。限られた休憩時間に長い列ができることはごく普通。そんな時、こんな表示があると少しだけイライラが解消されます。
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・元和年間(1615-1623)に京都四条河原付近に公許された七つの櫓(やぐら)のうち今も残る唯一の劇場。塔屋の上に梵天(幣帛)が二本飾られている。
・明治39年(1906)より白井松次郎、大谷竹次郎兄弟の松竹合名社が経営にあたる。提灯にも松と竹の紋が描かれています。
・大正2年に改築。さらに昭和4年、由緒ある櫓を備えた桃山風破風造りの豪華な劇場を竣工。
・平成3年(1991)、内部を全面改修。最新設備の近代劇場として改装。
こちら客席天井です。昔の芝居小屋は屋外で舞台だけに屋根がついていたことから今でもその名残で舞台の客席側の天井に屋根がついています。
・平成8年、南座の建物は国の登録有形文化財に指定。
内部の照明、ドア、階段の細部にいたるまで意匠が凝らされています。
今回の歌舞伎鑑賞教室では「幕」についても学びました。
定式幕(じょうしきまく)
おなじみの黒・柿・萌黄の三色の縦縞の幕。(最近では永谷園など似たような色合わせがありますが、歌舞伎で使われたのが最初です)
左に見えるのが花道。全体の長さのうち、やや舞台寄りのあたりを七三と呼び、役者が立ち止まって台詞を言ったり見栄をきったりする場所です。
また、南座には迫(せり)が11個もあるそうで、幻想的な照明のなか音楽に合わせて回転舞台を使って11のせりが一気に上がり下がりする滅多に見られない圧巻のショーを見せてくれました。鑑賞教室の醍醐味です。
浅黄幕(あさぎまく)
歌舞伎の舞台装置の中でも幕は重要な役割を果たします。
薄い水色(あさぎ色)の幕は昼を表す背景として使用されるほか、舞台前方に吊るして舞台転換を隠す際にも使われます。そして柝(ひょうしぎ)の合図で瞬時に幕を落とすことを「振り落とし」と言います。瞬時に場面転換できるスグレモノの舞台装置です。
歌舞伎用語から慣用句になった言葉も多く、「幕を切って落とす」とは、歌舞伎の開演時、舞台の幕の上部をはずして一気に落とすことに由来した言葉で、物事を華々しく始めるという意味になりました。
「チョンパ」という表現があるそうですが、暗転から照明がついてパッと明るくなるさまを表す業界用語です。
歌舞伎においては黒は「無の色」という暗黙の了解があります。
全身黒づくめの衣裳で黒い頭巾をかぶった人が時々舞台上に現れ役者の早替わりの仕掛けを手伝ったり要らなくなった小道具を片付けたりしますが、黒衣後見(くろごこうけん)と言います。この人は黒=無なので、舞台上ではいわゆる透明人間なのです。
自分は表に出ないで裏で人をあやつる人を「黒幕」と呼びますが、これも歌舞伎からきた言葉。
登場人物が死んで、同じ場所で話が続いていく場合、「消し幕」という黒い幕で死体の役者を包み隠し、舞台から退場させます。黒は無を意味しますから、観客は実際には見えていても黒い幕の裏のできごとは見えないものとして了解するのです。
このように一層、歌舞伎の奥深さを感じることができた鑑賞教室でした。
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