Paul's Art Collection [アート&デザイン]
英国デザイナー、Paul Smithの複合ショップの3階にあるPaul Smith SPACE GALLERYで開催中の『Paul's Art Collection』展を観てきました。
ポール・スミスが個人的に興味を持って集めたポスターや絵画、写真のコレクションを展示。
バンクシー、ホックニーのほか無名の新人作品も。ポールが単純に好きだから手に入れたアート作品だとか。
神宮前5丁目のちょっと奥まったところにあるショップの周囲は松の木や竹のアプローチなど日本庭園風。
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ポール・スミスが個人的に興味を持って集めたポスターや絵画、写真のコレクションを展示。
バンクシー、ホックニーのほか無名の新人作品も。ポールが単純に好きだから手に入れたアート作品だとか。
神宮前5丁目のちょっと奥まったところにあるショップの周囲は松の木や竹のアプローチなど日本庭園風。
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速水御舟 -日本画への挑戦- [アート&デザイン]
10月に千鳥ケ淵から広尾に移転し、新築の建物でオープンしたばかりの山種美術館で新美術館開館記念特別展『速水御舟 -日本画への挑戦-』を観てきました。
(1925年、「炎舞」部分、重要文化財)
早くから横山大観や小林古径らの日本画家、安井曽太郎、岸田劉生ら洋画家たちから高く評価された速水御舟(1894-1935)
大正から昭和の時代をたった40年という短い生涯で駆け抜けた天才画家の常に新しい表現に貪欲に挑戦し続けた軌跡をたどった見応えのある展覧会です。
第1章:画塾からの出発
松本楓湖主宰の安雅堂画塾に14才で入塾し、いわゆる修業時代ですが、とても十代とは思えないほどのすぐれた技量です。
第2章:古典への挑戦
日本画の絵具を用いて輪郭線のない油彩画的な質感表現を試みた。
細密描写から琳派の装飾的構成への志向を強めた時期でもあります。
上(↑)の『炎舞』は31歳のときの作品。
焚火をして群がる蛾の様子を観察して描きながらも、蛾はすべて正面向きという計算された構成。
他には「もし無名の作家が残ったとして、この絵だけは面白い絵だと後世言ってくれるだろう」と御舟が語ったという自信作『翠苔緑芝』では、紫陽花の花を描くのに胡粉に重曹を混ぜて立体感を出すという表現が試みられています。
もう一つの重要文化財『名樹散椿』のエピソード。
当初は桜を描く予定だったが、朱色のいい絵具が手に入ったので椿に変更したとのこと。使いたい画材があるから描く題材を決めるという臨機応変さ(効率性)も才能のなせることかも。
第3章:渡欧から人物画へ
ローマ日本美術展覧会の使節団の一員として横山大観らとヨーロッパ訪問した御舟。10ヶ月の間に寄港地の上海・香港も含め、イタリア、ギリシャ、パリ、エジプトなど13カ国48都市を訪れた際に目にした風景・光景の写生画や帰国後に取り組んだ人物画が展示されています。
御舟は、同時代の生活・風俗を描きたいと思ったそうです。
瞬時に特徴をつかむ天才的な観察力とそれをすばやくスケッチできる描写力に驚嘆です。
第4章:挑戦者の葛藤
御舟は自ら確立した作風に甘んじることなく、一作一作異なる技法による挑戦を繰り返しました。
渡欧後は人物画だけでなく、自然の写生から離れたデフォルメに移行。
左:桃花(部分)、1923年 油彩画的な作品
中:牡丹花(墨牡丹、部分)、1934年
右:芥子(写生、部分)、1934年
同じく10月に新美術館としてオープンしたばかりの根津美術館と同様、今後半年は開館記念特別展が続きます。楽しみ。
【おまけ】
自転車で山種美術館に向かう途中、駒沢通り沿いにミケランジェロのダビデ像を発見。
ここはどこ?
Papas Companyの本社ビルらしい。しかし、なぜ?
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(1925年、「炎舞」部分、重要文化財)
早くから横山大観や小林古径らの日本画家、安井曽太郎、岸田劉生ら洋画家たちから高く評価された速水御舟(1894-1935)
大正から昭和の時代をたった40年という短い生涯で駆け抜けた天才画家の常に新しい表現に貪欲に挑戦し続けた軌跡をたどった見応えのある展覧会です。
第1章:画塾からの出発
松本楓湖主宰の安雅堂画塾に14才で入塾し、いわゆる修業時代ですが、とても十代とは思えないほどのすぐれた技量です。
第2章:古典への挑戦
日本画の絵具を用いて輪郭線のない油彩画的な質感表現を試みた。
細密描写から琳派の装飾的構成への志向を強めた時期でもあります。
上(↑)の『炎舞』は31歳のときの作品。
焚火をして群がる蛾の様子を観察して描きながらも、蛾はすべて正面向きという計算された構成。
他には「もし無名の作家が残ったとして、この絵だけは面白い絵だと後世言ってくれるだろう」と御舟が語ったという自信作『翠苔緑芝』では、紫陽花の花を描くのに胡粉に重曹を混ぜて立体感を出すという表現が試みられています。
もう一つの重要文化財『名樹散椿』のエピソード。
当初は桜を描く予定だったが、朱色のいい絵具が手に入ったので椿に変更したとのこと。使いたい画材があるから描く題材を決めるという臨機応変さ(効率性)も才能のなせることかも。
第3章:渡欧から人物画へ
ローマ日本美術展覧会の使節団の一員として横山大観らとヨーロッパ訪問した御舟。10ヶ月の間に寄港地の上海・香港も含め、イタリア、ギリシャ、パリ、エジプトなど13カ国48都市を訪れた際に目にした風景・光景の写生画や帰国後に取り組んだ人物画が展示されています。
御舟は、同時代の生活・風俗を描きたいと思ったそうです。
瞬時に特徴をつかむ天才的な観察力とそれをすばやくスケッチできる描写力に驚嘆です。
第4章:挑戦者の葛藤
御舟は自ら確立した作風に甘んじることなく、一作一作異なる技法による挑戦を繰り返しました。
渡欧後は人物画だけでなく、自然の写生から離れたデフォルメに移行。
左:桃花(部分)、1923年 油彩画的な作品
中:牡丹花(墨牡丹、部分)、1934年
右:芥子(写生、部分)、1934年
同じく10月に新美術館としてオープンしたばかりの根津美術館と同様、今後半年は開館記念特別展が続きます。楽しみ。
【おまけ】
自転車で山種美術館に向かう途中、駒沢通り沿いにミケランジェロのダビデ像を発見。
ここはどこ?
Papas Companyの本社ビルらしい。しかし、なぜ?
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