ルーシー・リー展 [アート&デザイン]
ミュンヘン紀行、ちょっと休憩して日常の記録を。
先週末、国立新美術館で開催中の「ルーシー・リー展」を鑑賞してきました。
彼女の作品展を見るのは東京ミッドタウンの21_21 Design Sight以来一年ぶり。
1902年、ユダヤ系の裕福な両親のもとにウィーンで生まれ、1938年、ナチスの迫害を逃れ渡英、1995年、ロンドンのハイドパーク近くの自宅で93歳で死去。
会場構成は
Ⅰ.初期-ウィーン時代 1921-38
Ⅱ.形成期-ロンドン時代
さらに、テーマごとの展示。
「掻き落としの系譜」
不規則に器の表面の土を削り、味わい深い素朴な線を生み出した。溝に色土を埋め込む象嵌技法に発展。
「器形のヴァリエーション」
「釉薬の変貌」
「ルーシー・リーのボタン」
Ⅲ.円熟期
朝鮮の白磁、中国の青銅器、日本の和食器などと並べても違和感のない東洋的な器。
薄く、シンプルで無駄のない優美なフォルム。特に、なだらかなラインを描く口縁。ベージュや茶色を中心としたアースカラー。抑えた色数と色調。かと思うと、ハッとするようなピンクや緑の指し色を使う。
生活空間の中で決して邪魔をせず、かと言って確かな存在感を放つ器の力強さと感じました。
モダンな現代の住居に花器として飾ってもしっくりくるし、鉢や大皿に芋の煮っころがしを盛ると、家庭料理が高級な日本料理に見えそうだし、朝顔型の茶碗は侘びた茶室にも似合いそう。
1963年、リーはウェッジウッドのためのプロトタイプの制作を依頼されました。
ジャスパー独特のペールブルーに白のラインを施した紅茶・コーヒーカップとソーサーの試作品。しかし、ウェッジウッド社は制作しないことを決め、リーはプロトタイプを手元に残すことを望んだそうです。
会場には彼女が工房で陶工に取り組んでいる様子の映像や住まいの写真が展示されています。
彼女が作り出す器と同じように、彼女自身も物静かで凛とした佇まい。その姿に、日本の抽象書画家、篠田桃紅さんと同じような強さを想起しました。そして、とてもチャーミングなんです。
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彼女の作品展を見るのは東京ミッドタウンの21_21 Design Sight以来一年ぶり。
1902年、ユダヤ系の裕福な両親のもとにウィーンで生まれ、1938年、ナチスの迫害を逃れ渡英、1995年、ロンドンのハイドパーク近くの自宅で93歳で死去。
会場構成は
Ⅰ.初期-ウィーン時代 1921-38
Ⅱ.形成期-ロンドン時代
さらに、テーマごとの展示。
「掻き落としの系譜」
不規則に器の表面の土を削り、味わい深い素朴な線を生み出した。溝に色土を埋め込む象嵌技法に発展。
「器形のヴァリエーション」
「釉薬の変貌」
「ルーシー・リーのボタン」
Ⅲ.円熟期
朝鮮の白磁、中国の青銅器、日本の和食器などと並べても違和感のない東洋的な器。
薄く、シンプルで無駄のない優美なフォルム。特に、なだらかなラインを描く口縁。ベージュや茶色を中心としたアースカラー。抑えた色数と色調。かと思うと、ハッとするようなピンクや緑の指し色を使う。
生活空間の中で決して邪魔をせず、かと言って確かな存在感を放つ器の力強さと感じました。
モダンな現代の住居に花器として飾ってもしっくりくるし、鉢や大皿に芋の煮っころがしを盛ると、家庭料理が高級な日本料理に見えそうだし、朝顔型の茶碗は侘びた茶室にも似合いそう。
1963年、リーはウェッジウッドのためのプロトタイプの制作を依頼されました。
ジャスパー独特のペールブルーに白のラインを施した紅茶・コーヒーカップとソーサーの試作品。しかし、ウェッジウッド社は制作しないことを決め、リーはプロトタイプを手元に残すことを望んだそうです。
会場には彼女が工房で陶工に取り組んでいる様子の映像や住まいの写真が展示されています。
彼女が作り出す器と同じように、彼女自身も物静かで凛とした佇まい。その姿に、日本の抽象書画家、篠田桃紅さんと同じような強さを想起しました。そして、とてもチャーミングなんです。
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