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鈴木大拙館 [出身地 北陸]

昨年(2011年)10月18日(彼の誕生日)、金沢にオープンした「鈴木大拙館」に行ってきました。
20120430 1鈴木大拙館1.JPG

四角い建物の前に水をたたえた(水鏡の庭)、この静かな佇まいの建築を見たときに瞬間的に思い出したのが、谷口吉生さん設計の東京国立博物館法隆寺宝物館の建物。
そして確認すると、この建物も谷口さんの設計でした。

世界的な仏教哲学者、鈴木大拙(1870-1966、本名貞太郎)が生まれ育った地、金沢市本多町(金沢21世紀美術館からは徒歩5分ほど)に建てられた記念館は、閑静な住宅街かつ本多の森のふもとにあり、その空間はひととき俗世界の喧騒から逃れるのにふさわしい空間です。

上の写真、思索空間の内部。
20120430 1鈴木大拙館3.JPG

畳のベンチに腰かけ水や木々を見つめていると、自ずと心静かに思索にふけりたくなります。

玄関(受付)から展示空間に真っすぐ伸びる内部回廊。歩を進めるにつれ次第に気持ちが落ち着いていきます。
20120430 1鈴木大拙館2.JPG

展示空間では新しい企画展「無心ということ」が始まったばかりでした。
20120430 1鈴木大拙 無心ということ.JPG
「指さす」1961年、大拙91歳

そこには大拙の写真や書がほんの数点だけ展示され、展示の解説リーフレットが自由に持ち帰られるように置いてあります。
例えば、
・「本能は無心といえば無心であるが、それは動物の無心であって、人間生活の無心ではない」「本能の無心から出て、人間的有心へ出たが、この有心を今一度無心の世界へかえしてしまわなければならぬ」
・「無事」とは何も事がないということではない。どんな事があっても、どんなに事があっても無事ということ。寝て、起きて、食べるだけでなく、それと同じように、死ぬことも無事であるというそのような無事である。仏教で生死事大と言われるその生死が無事だという無事である。

展示空間の隣は学習空間。彼の著作など関連書籍が置かれ、大拙の思想や精神を学ぶことができます。
20120430 1鈴木大拙館4.JPG

館内の要所要所から庭が見られるように配置されており、立ち止まったり椅子に腰かけたりして「考える」ことができる造り。

鈴木大拙のことば。
・最も有効な行動は、ひとたび決心した以上、振り返らずに進むことである。
・「生ま知り」の人にかぎって、頭を分別でいっぱいにする。
 無智の人は、智力をいまだ目ざまさぬから、素朴のままにある。賢い人は智力のかぎりを尽くしているから、もはや、それに頼らない。両者は睦まじい隣同士である。
・星を仰ぐ人も、その足はやっぱり大地に著(つ)いているのだ。
 生はすべての依拠であり生を離れては何物も存在し得ない。如何なる哲学を以てしても、いかに偉大で力強い観念を以てしても、我々はあるがままの生を脱することはできぬ。


同じく石川県出身の世界的な哲学者、西田幾多郎は鈴木大拙と第四高等中学校の同級生でもあり、二人は深い交流があったという。(金沢市の郊外、かほく市の丘陵地に建つ西田幾多郎記念哲学館は安藤忠雄さんの設計によるもの)
郷土に偉大な哲学者、思想家を持つことは誇りでもあり、そんな賢人についてほとんど知識のない自分に情けなくもあり。これを機会に関連図書を読んでみようと思う今日この頃。

ひとあじ違う金沢観光をお考えなら、思想を学び、自分を見つめる時間を得られるほか、建築や周囲の環境も堪能できる両記念館をお勧めします。


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