ブエノスアイレス市内観光 ボカ地区 [旅 アルゼンチン]
街の中心、5月広場から南にあるのがボカ地区(Boca)。
サッカーファンならご存じ、イタリア系移民を中心に結成された南米屈指のサッカークラブ、ボカ・ジュニアーズの本拠地のスタジアム“ボンボネーラ”もあります。
(かつてはマラドーナ、バティストゥータなどが在籍。2001年シーズンは日本の高原選手も所属)
奥に黄色く見えるのがスタジアム
リアチュエロ川の曲がったところが観光地として必ず登場するカミニート(Caminito、小径という意味)。
この地区では、道に並ぶ家々の壁やテラス、屋根などがカラフルに塗り分けられ、壁絵が描かれています。
これはボカ生まれの画家キンケラ・マルティン(Pintor Benito Quinquela Martin)のアイデアによるもの。
周辺は絵画やオブジェなどで屋外美術館のようでもあります。
ボカ港は19世紀後半、ブエノスアイレス唯一の港だったそうで、ヨーロッパからの船はすべてこの港に停泊し、夢を求めてやってきた移民が到着した場所です。
当時のボカは労働者や船乗りなどの溜まり場となっていて、単身で海を渡ってきた男たちと、彼らを相手にする娼婦たちとで歌い踊られたのが、あの官能的なタンゴの始まりと言われています。
『母をたずねて三千里』のマルコもこの港に着き、出稼ぎに来ていた母親を探したのです。
マルコと言えば、この鉄道の線路はコルトバにつながっていてマルコもアメディオと一緒に歩いてお母さんのいる土地を目指したのでしょう。
続いて、レコレータ地区に移動するため、レティーロ地区(Retiro)を通過。
1916年、アルゼンチン独立100周年を記念し、イギリス政府から寄贈された英国塔。
しかし、1982年のフォークランド紛争の際には反英の標的となり、かなりの部分が壊されたそうです。
ロンドンのビッグベンと同じ音で30分おきに時を知らせる
土地に歴史あり
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サッカーファンならご存じ、イタリア系移民を中心に結成された南米屈指のサッカークラブ、ボカ・ジュニアーズの本拠地のスタジアム“ボンボネーラ”もあります。
(かつてはマラドーナ、バティストゥータなどが在籍。2001年シーズンは日本の高原選手も所属)
奥に黄色く見えるのがスタジアム
リアチュエロ川の曲がったところが観光地として必ず登場するカミニート(Caminito、小径という意味)。
この地区では、道に並ぶ家々の壁やテラス、屋根などがカラフルに塗り分けられ、壁絵が描かれています。
これはボカ生まれの画家キンケラ・マルティン(Pintor Benito Quinquela Martin)のアイデアによるもの。
周辺は絵画やオブジェなどで屋外美術館のようでもあります。
ボカ港は19世紀後半、ブエノスアイレス唯一の港だったそうで、ヨーロッパからの船はすべてこの港に停泊し、夢を求めてやってきた移民が到着した場所です。
当時のボカは労働者や船乗りなどの溜まり場となっていて、単身で海を渡ってきた男たちと、彼らを相手にする娼婦たちとで歌い踊られたのが、あの官能的なタンゴの始まりと言われています。
『母をたずねて三千里』のマルコもこの港に着き、出稼ぎに来ていた母親を探したのです。
マルコと言えば、この鉄道の線路はコルトバにつながっていてマルコもアメディオと一緒に歩いてお母さんのいる土地を目指したのでしょう。
続いて、レコレータ地区に移動するため、レティーロ地区(Retiro)を通過。
1916年、アルゼンチン独立100周年を記念し、イギリス政府から寄贈された英国塔。
しかし、1982年のフォークランド紛争の際には反英の標的となり、かなりの部分が壊されたそうです。
ロンドンのビッグベンと同じ音で30分おきに時を知らせる
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タグ:アルゼンチン
ブエノスアイレス市内観光 5月広場周辺 [旅 アルゼンチン]
ブエノスアイレスでの二日目は夕方までの時間、市内観光のツアーに出かけた。
日本人ガイドの案内でお昼まで効率的にまわった。
最初に向かったのはブエノスアイレスの中心部、モンセラート地区(Monserrat)の5月広場周辺。
ここには歴史的にも政治的にも重要な見どころが集まっています。
ピンク色の建物は大統領府(La Casa de Gobierno、カサ・ロサーダCasa Rosada)。
1873-1894年に建設されたスペイン・ロココ調の建物。
かつてのブエノスアイレスの要塞で、その後、一方の角は郵便局、もう一方は大統領府となった。
バルコニーはペロン大統領とエビータ夫人が演説したことで知られている。
ブエノスアイレスは「南米のパリ」とも呼ばれる都市。
建物もヨーロッパ風です。
右側の通りの向こうに、街の象徴的存在のオベリスコ(高さ67m)があります。
7月9日大通り
7月9日大通りに面してイタリア・ルネサンス様式のコロン劇場が立っています。
ミラノのスカラ座に次ぐ世界第二の大きさで、パリのオペラ座と合わせて世界三大劇場とされている。
スペイン植民地時代は行政機関として、独立後はブエノスアイレス市議会として使用されている白い建物はカビルド(Cabildo)。
5月広場はアルゼンチンの民主主義の原点となる場所。
1810年5月25日、植民地としてスペイン政府に操られることに耐えられなくなったクリオージョ(現地生まれの白人)たちが引き起こした「5月革命」。(この日を名前にした通りもある)
当時のリオ・デ・ラ・プラタ副王の退位と自治政府の設置を迫って人々がカビルドに集結し、この広場で独立宣言を行った。
5月広場から真っすぐ西、大統領府と対面する形で国会議事堂が立っています。
さらに、ネオ・クラシック様式の建物が大聖堂(Catedral Metropolitana)。
12人の使徒を表す12本の柱
正面右側に燃える炎は1827年の完成当時がから現在にいたるまで絶えることなく燃え続けているそうです。
南米解放の父、ホセ・デ・サン・マルティン将軍の柩が、アルゼンチン、チリ、ペルーの聖女の像に見守られて安置されていて、柩の部屋の入口には近衛兵が200年前の独立軍のデザインを復元した軍服に身を包み、交替で護衛にあたっています。
【おまけ】
地下鉄スブテ(Subte)の5月広場駅への入口。
ブエノスアイレスの地下鉄の歴史は古く、最も古い路線(A線)が開通したのは1913年。
当時、東京い地下鉄を造ろうと計画していた日本から視察に来たそうで、銀座線のモデルになったとのこと。
そして、現在走っている車両には東京の丸ノ内線や名古屋の東山線のお古が使われているとかで、言ってみれば逆輸入ということですね。
世界で最初にボールペンが販売されたのもアルゼンチンだそうですよ
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日本人ガイドの案内でお昼まで効率的にまわった。
最初に向かったのはブエノスアイレスの中心部、モンセラート地区(Monserrat)の5月広場周辺。
ここには歴史的にも政治的にも重要な見どころが集まっています。
ピンク色の建物は大統領府(La Casa de Gobierno、カサ・ロサーダCasa Rosada)。
1873-1894年に建設されたスペイン・ロココ調の建物。
かつてのブエノスアイレスの要塞で、その後、一方の角は郵便局、もう一方は大統領府となった。
バルコニーはペロン大統領とエビータ夫人が演説したことで知られている。
ブエノスアイレスは「南米のパリ」とも呼ばれる都市。
建物もヨーロッパ風です。
右側の通りの向こうに、街の象徴的存在のオベリスコ(高さ67m)があります。
7月9日大通り
7月9日大通りに面してイタリア・ルネサンス様式のコロン劇場が立っています。
ミラノのスカラ座に次ぐ世界第二の大きさで、パリのオペラ座と合わせて世界三大劇場とされている。
スペイン植民地時代は行政機関として、独立後はブエノスアイレス市議会として使用されている白い建物はカビルド(Cabildo)。
5月広場はアルゼンチンの民主主義の原点となる場所。
1810年5月25日、植民地としてスペイン政府に操られることに耐えられなくなったクリオージョ(現地生まれの白人)たちが引き起こした「5月革命」。(この日を名前にした通りもある)
当時のリオ・デ・ラ・プラタ副王の退位と自治政府の設置を迫って人々がカビルドに集結し、この広場で独立宣言を行った。
5月広場から真っすぐ西、大統領府と対面する形で国会議事堂が立っています。
さらに、ネオ・クラシック様式の建物が大聖堂(Catedral Metropolitana)。
12人の使徒を表す12本の柱
正面右側に燃える炎は1827年の完成当時がから現在にいたるまで絶えることなく燃え続けているそうです。
南米解放の父、ホセ・デ・サン・マルティン将軍の柩が、アルゼンチン、チリ、ペルーの聖女の像に見守られて安置されていて、柩の部屋の入口には近衛兵が200年前の独立軍のデザインを復元した軍服に身を包み、交替で護衛にあたっています。
【おまけ】
地下鉄スブテ(Subte)の5月広場駅への入口。
ブエノスアイレスの地下鉄の歴史は古く、最も古い路線(A線)が開通したのは1913年。
当時、東京い地下鉄を造ろうと計画していた日本から視察に来たそうで、銀座線のモデルになったとのこと。
そして、現在走っている車両には東京の丸ノ内線や名古屋の東山線のお古が使われているとかで、言ってみれば逆輸入ということですね。
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タグ:ブエノスアイレス
ブエノスアイレス タンゴショー [旅 アルゼンチン]
いよいよ最後の訪問地、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスです。
8月14日の昼すぎに到着後、夜の活動にそなえてホテルでしばし仮眠。
こぢんまりした部屋
19時半、送迎車にピックアップされてタンゴショーの店へ。
場所はタンゴが育まれた地域と言われるサン・テルモ地区(San Telmo)にあるエル・ビエホ・アルマセン(El Viejo ALMACEN)(Esquina Ave. Independencia y Balcarce)
2009年に40周年を迎えた有名タンゲリーア
ショーの前に向かいのレストランでディナーです。
パンプキンスープ、牛ステーキ(Asado)。
ステーキはこれでハーフサイズですが、全部は食べきれませんでした。
デザートは別腹。(私はフルーツ)
さぁ、場所を移していよいよタンゴショーです。
生演奏に合わせて男女の物悲しくも激しい踊りが繰り広げられます。
バンドネオンの哀愁を感じさせる音色に合わせ、体を密着させ、時に脚をからませて踊る男女。独特の色気と情熱を感じます。
毎年8月に約2週間にわたって開催されるタンゴフェスティバルと世界選手権。
2012年は私たちが到着した8月14日から始まりました。(~28日)
情報によると、2009年のチャンピオンは日本のカップルだったそうです。
期間中、タンゴのレッスンやワークショップなどが無料で行われます。
ダンサーが杉本彩に見えたのよね~
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8月14日の昼すぎに到着後、夜の活動にそなえてホテルでしばし仮眠。
こぢんまりした部屋
19時半、送迎車にピックアップされてタンゴショーの店へ。
場所はタンゴが育まれた地域と言われるサン・テルモ地区(San Telmo)にあるエル・ビエホ・アルマセン(El Viejo ALMACEN)(Esquina Ave. Independencia y Balcarce)
2009年に40周年を迎えた有名タンゲリーア
ショーの前に向かいのレストランでディナーです。
パンプキンスープ、牛ステーキ(Asado)。
ステーキはこれでハーフサイズですが、全部は食べきれませんでした。
デザートは別腹。(私はフルーツ)
さぁ、場所を移していよいよタンゴショーです。
生演奏に合わせて男女の物悲しくも激しい踊りが繰り広げられます。
バンドネオンの哀愁を感じさせる音色に合わせ、体を密着させ、時に脚をからませて踊る男女。独特の色気と情熱を感じます。
毎年8月に約2週間にわたって開催されるタンゴフェスティバルと世界選手権。
2012年は私たちが到着した8月14日から始まりました。(~28日)
情報によると、2009年のチャンピオンは日本のカップルだったそうです。
期間中、タンゴのレッスンやワークショップなどが無料で行われます。
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