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アルゼンチンで何買った? [旅 アルゼンチン]
アルゼンチン旅行記の最終回です。
訪れた場所を振り返りながら、買った物の記録です。
アルゼンチンの人は甘いもの好きのようです。
朝食には必ず置いてあったミルクジャム(Dulce de Leche)。
機内食にも出てきたチョコパイ。お土産物屋さんや町のコンビニでも山積みにして売られていた。
氷河の町、El Calafateで買ったカラファテのジャム。
この木の実を食べた人は再びパタゴニアに戻ってくるという言い伝えがあるそうです。ということは~♪
イグアスの滝のそば、三国国境の場所ではインカローズ(ロドクロシータ、Rosa del Inca)のオウムの置き物をお買い上げ。
アルゼンチンの国の石だそうです
アルゼンチンは革製品の国でもあります。
イグアス空港のショップでちょっと衝動的に買ったのがカピバラの皮を使ったブーツ。
財布はおまけ♪
ブエノスアイレスでは地元の皮製品ブランドMICHEL'Sで友人へのお土産に柔らかい皮の木の葉型のケースを。
出発前の空港ではボカ地区カミニートのカラフルな建物ミニチュアを。
アルゼンチンはチリと並ぶ南米のワインの産地。
日本には未輸入というDEL FIN DEL MUNDOというMalbec種の赤。生産の70%を占めるアンデス山脈麓にあるメンドーサ産。まろやかでいて深みも感じられる美味しい味でした。
白は同じく有名な産地サルタのアルゼンチンオリジナル品種Torrontes。マスカットのような爽やかな香りとキリッとした辛口。
最後はお土産用のハーブティー。パッケージが可愛かったので。
今回の旅行でもよく食べ、よく飲み、存分に楽しみました。
これにて長らく連載してきた夏のアルゼンチン旅行記、完結です。
すっきりした気持ちで新年を迎えられます。
皆さん、良い年をお迎えくださ~い!
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訪れた場所を振り返りながら、買った物の記録です。
アルゼンチンの人は甘いもの好きのようです。
朝食には必ず置いてあったミルクジャム(Dulce de Leche)。
機内食にも出てきたチョコパイ。お土産物屋さんや町のコンビニでも山積みにして売られていた。
氷河の町、El Calafateで買ったカラファテのジャム。
この木の実を食べた人は再びパタゴニアに戻ってくるという言い伝えがあるそうです。ということは~♪
イグアスの滝のそば、三国国境の場所ではインカローズ(ロドクロシータ、Rosa del Inca)のオウムの置き物をお買い上げ。
アルゼンチンの国の石だそうです
アルゼンチンは革製品の国でもあります。
イグアス空港のショップでちょっと衝動的に買ったのがカピバラの皮を使ったブーツ。
財布はおまけ♪
ブエノスアイレスでは地元の皮製品ブランドMICHEL'Sで友人へのお土産に柔らかい皮の木の葉型のケースを。
出発前の空港ではボカ地区カミニートのカラフルな建物ミニチュアを。
アルゼンチンはチリと並ぶ南米のワインの産地。
日本には未輸入というDEL FIN DEL MUNDOというMalbec種の赤。生産の70%を占めるアンデス山脈麓にあるメンドーサ産。まろやかでいて深みも感じられる美味しい味でした。
白は同じく有名な産地サルタのアルゼンチンオリジナル品種Torrontes。マスカットのような爽やかな香りとキリッとした辛口。
最後はお土産用のハーブティー。パッケージが可愛かったので。
今回の旅行でもよく食べ、よく飲み、存分に楽しみました。
これにて長らく連載してきた夏のアルゼンチン旅行記、完結です。
すっきりした気持ちで新年を迎えられます。
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アルゼンチン 空港にてアート鑑賞 [旅 アルゼンチン]
今回、アルゼンチンの空港を4つ使用したのですが、行く先々でハートのオブジェを見つけました。
ブエノスアイレスの国内線空港にて。ジグソーパズル模様。
イグアス空港にて。古新聞をちぎって貼ったみたいなの。
そして、ブエノスアイレスの国際線空港にて。アルゼンチン国旗ですね。
数年前(いつかは忘れた)、航空記念だったっけな?(全く曖昧、、)アルゼンチン国内の空港でハートをモチーフにオブジェを設置したようです。
無数のレゴブロックを使ったアートも。
それにしても、もう少しブエノスアイレス市内をぶらぶら歩く時間がほしかったなぁ。
そう、あと2日くらい滞在したかった。
次回、最終回です!
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ブエノスアイレスの国内線空港にて。ジグソーパズル模様。
イグアス空港にて。古新聞をちぎって貼ったみたいなの。
そして、ブエノスアイレスの国際線空港にて。アルゼンチン国旗ですね。
数年前(いつかは忘れた)、航空記念だったっけな?(全く曖昧、、)アルゼンチン国内の空港でハートをモチーフにオブジェを設置したようです。
無数のレゴブロックを使ったアートも。
それにしても、もう少しブエノスアイレス市内をぶらぶら歩く時間がほしかったなぁ。
そう、あと2日くらい滞在したかった。
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ブエノスアイレス市内観光 フロリダ通り周辺 [旅 アルゼンチン]
7月9日大通りを通り、宿泊ホテルのあるサン・ニコラス地区(San Nicolas)に戻ってきました。
ガイドさんと別れ、ホテルまで周辺をブラブラ散策。
その前にランチ。地元でも人気のイタリアンのお店、ブロッコリーノ(Broccolino)で。(Esmeralda 776)
巨大なズッキーニのフライ
お店の名物、オニオン・ブロッコリーノ
赤のテーブルクロスに緑の壁、白いお皿でイタリアンカラー。
イカのパスタとモッツァレラチーズのパスタのハーフサイズを頼んだけど、この量。はっきり言って食べすぎです。
では、腹ごなしに歩きましょ。
ヨーロッパ風の建物の1階が普通のショップになっています。
コルドバ通り
フロリダ通りは中心ショッピング街。人で賑わっています。
地元のコンビニ。とにかく甘いお菓子がたくさん売られています。
ショッピングモールGalerias Pacificoの建物も立派。
中もゴージャスな天井画が描かれています。
ここで、ガイドさんから聞いた町一番の人気アイスクリームショップ、フレド(freddo)で小休憩。
小さいソフトにチョコレートでコーティング。7ペソ(約100円)
帰国前、私たちが泊まったGRAND KING HOTELです。
トイレの案内が木彫りの人形で可愛い。
ごく普通のホテルでしたが、朝食は充実していました。
ショッピングも終えて、帰国の途につくため空港に向かいます。
あぁ、名残惜しいブエノスアイレス~
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その前にランチ。地元でも人気のイタリアンのお店、ブロッコリーノ(Broccolino)で。(Esmeralda 776)
巨大なズッキーニのフライ
お店の名物、オニオン・ブロッコリーノ
赤のテーブルクロスに緑の壁、白いお皿でイタリアンカラー。
イカのパスタとモッツァレラチーズのパスタのハーフサイズを頼んだけど、この量。はっきり言って食べすぎです。
では、腹ごなしに歩きましょ。
ヨーロッパ風の建物の1階が普通のショップになっています。
コルドバ通り
フロリダ通りは中心ショッピング街。人で賑わっています。
地元のコンビニ。とにかく甘いお菓子がたくさん売られています。
ショッピングモールGalerias Pacificoの建物も立派。
中もゴージャスな天井画が描かれています。
ここで、ガイドさんから聞いた町一番の人気アイスクリームショップ、フレド(freddo)で小休憩。
小さいソフトにチョコレートでコーティング。7ペソ(約100円)
帰国前、私たちが泊まったGRAND KING HOTELです。
トイレの案内が木彫りの人形で可愛い。
ごく普通のホテルでしたが、朝食は充実していました。
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タグ:アルゼンチン
ブエノスアイレス市内観光 レコレータ地区 [旅 アルゼンチン]
ブエノスアイレスの北に位置する高級住宅地区、レコレータ地区(Recoleta)にやってきました。
この地区には、高級マンションのほか、お洒落なカフェやレストラン、センスのいいブティックなどが集まり、公園や博物館などもあります。
ここに住むセレブ男性を目当てに来る女性もいるとか。(現地ガイドさん談)
私たちが訪れたのはレコレータ墓地。
アルゼンチンは墓のある場所によって階級を評価されるらしく、この墓地はアルゼンチンの人たちの最高級墓地だそうです。
中に入ると、これがお墓?と思うほど大きく立派な納骨堂が並んでいます。
1882年に開設され、ブエノスアイレスで最も古く、また最も由緒のある墓地だそうです。
彫像や装飾が施された納骨堂は全部で6400。そのうちの70のお墓は国の文化財にも指定されています。
ガイドさんの案内なしでは、この迷路のような墓地はまわれません。
両親が日本人という現地ガイドの女性はブエノスアイレスの大学の観光学科を卒業していて、何度もこの墓地を訪れては墓の一つひとつについて学び覚えたそうです。
年にいくつかは墓の持ち主(納められる人)が変わるので、その都度、勉強しているとのこと。
一番値段が高い納骨堂
煉瓦作りの古いお墓
彫刻にも意味が込められていて、角に座る天使が死者を見守っている(だったと思う)。
こちらはペロン元大統領と夫人のエビータのお墓。人も献花も絶えません。
では、街中に戻りましょう。
いよいよ終盤!
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この地区には、高級マンションのほか、お洒落なカフェやレストラン、センスのいいブティックなどが集まり、公園や博物館などもあります。
ここに住むセレブ男性を目当てに来る女性もいるとか。(現地ガイドさん談)
私たちが訪れたのはレコレータ墓地。
アルゼンチンは墓のある場所によって階級を評価されるらしく、この墓地はアルゼンチンの人たちの最高級墓地だそうです。
中に入ると、これがお墓?と思うほど大きく立派な納骨堂が並んでいます。
1882年に開設され、ブエノスアイレスで最も古く、また最も由緒のある墓地だそうです。
彫像や装飾が施された納骨堂は全部で6400。そのうちの70のお墓は国の文化財にも指定されています。
ガイドさんの案内なしでは、この迷路のような墓地はまわれません。
両親が日本人という現地ガイドの女性はブエノスアイレスの大学の観光学科を卒業していて、何度もこの墓地を訪れては墓の一つひとつについて学び覚えたそうです。
年にいくつかは墓の持ち主(納められる人)が変わるので、その都度、勉強しているとのこと。
一番値段が高い納骨堂
煉瓦作りの古いお墓
彫刻にも意味が込められていて、角に座る天使が死者を見守っている(だったと思う)。
こちらはペロン元大統領と夫人のエビータのお墓。人も献花も絶えません。
では、街中に戻りましょう。
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タグ:アルゼンチン
ブエノスアイレス市内観光 ボカ地区 [旅 アルゼンチン]
街の中心、5月広場から南にあるのがボカ地区(Boca)。
サッカーファンならご存じ、イタリア系移民を中心に結成された南米屈指のサッカークラブ、ボカ・ジュニアーズの本拠地のスタジアム“ボンボネーラ”もあります。
(かつてはマラドーナ、バティストゥータなどが在籍。2001年シーズンは日本の高原選手も所属)
奥に黄色く見えるのがスタジアム
リアチュエロ川の曲がったところが観光地として必ず登場するカミニート(Caminito、小径という意味)。
この地区では、道に並ぶ家々の壁やテラス、屋根などがカラフルに塗り分けられ、壁絵が描かれています。
これはボカ生まれの画家キンケラ・マルティン(Pintor Benito Quinquela Martin)のアイデアによるもの。
周辺は絵画やオブジェなどで屋外美術館のようでもあります。
ボカ港は19世紀後半、ブエノスアイレス唯一の港だったそうで、ヨーロッパからの船はすべてこの港に停泊し、夢を求めてやってきた移民が到着した場所です。
当時のボカは労働者や船乗りなどの溜まり場となっていて、単身で海を渡ってきた男たちと、彼らを相手にする娼婦たちとで歌い踊られたのが、あの官能的なタンゴの始まりと言われています。
『母をたずねて三千里』のマルコもこの港に着き、出稼ぎに来ていた母親を探したのです。
マルコと言えば、この鉄道の線路はコルトバにつながっていてマルコもアメディオと一緒に歩いてお母さんのいる土地を目指したのでしょう。
続いて、レコレータ地区に移動するため、レティーロ地区(Retiro)を通過。
1916年、アルゼンチン独立100周年を記念し、イギリス政府から寄贈された英国塔。
しかし、1982年のフォークランド紛争の際には反英の標的となり、かなりの部分が壊されたそうです。
ロンドンのビッグベンと同じ音で30分おきに時を知らせる
土地に歴史あり
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サッカーファンならご存じ、イタリア系移民を中心に結成された南米屈指のサッカークラブ、ボカ・ジュニアーズの本拠地のスタジアム“ボンボネーラ”もあります。
(かつてはマラドーナ、バティストゥータなどが在籍。2001年シーズンは日本の高原選手も所属)
奥に黄色く見えるのがスタジアム
リアチュエロ川の曲がったところが観光地として必ず登場するカミニート(Caminito、小径という意味)。
この地区では、道に並ぶ家々の壁やテラス、屋根などがカラフルに塗り分けられ、壁絵が描かれています。
これはボカ生まれの画家キンケラ・マルティン(Pintor Benito Quinquela Martin)のアイデアによるもの。
周辺は絵画やオブジェなどで屋外美術館のようでもあります。
ボカ港は19世紀後半、ブエノスアイレス唯一の港だったそうで、ヨーロッパからの船はすべてこの港に停泊し、夢を求めてやってきた移民が到着した場所です。
当時のボカは労働者や船乗りなどの溜まり場となっていて、単身で海を渡ってきた男たちと、彼らを相手にする娼婦たちとで歌い踊られたのが、あの官能的なタンゴの始まりと言われています。
『母をたずねて三千里』のマルコもこの港に着き、出稼ぎに来ていた母親を探したのです。
マルコと言えば、この鉄道の線路はコルトバにつながっていてマルコもアメディオと一緒に歩いてお母さんのいる土地を目指したのでしょう。
続いて、レコレータ地区に移動するため、レティーロ地区(Retiro)を通過。
1916年、アルゼンチン独立100周年を記念し、イギリス政府から寄贈された英国塔。
しかし、1982年のフォークランド紛争の際には反英の標的となり、かなりの部分が壊されたそうです。
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