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サントリーホール オープンハウス [学び]

3月28日は、アークヒルズの「桜まつり」に合わせて、サントリーホールが一般開放されました。

20100328 サントリーHオープンハウス.JPG

私は正午過ぎに到着し、オーケストラ・コンサート(慶應義塾の学生オケの演奏)とオペラ名曲コンサート(ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」からの曲など)を楽しみ、ホールのガイドツアーに参加しました。

お酒のメーカーらしく、ホールの随所にアルコールにちなんだトリビア的なこだわりが見られます

入口ロビー天井の大きなクリスタルガラスの照明は「光のシンフォニー」
20100328 サントリーHオープンハウス1.JPG

アルコールの分子構造(30面体)を表しているそうです。(照明デザイナー、石井幹子さんデザイン)

ホール正面の壁には1986年11月12日完成のホール初代館長の佐治氏のレリーフと、ホール建築の際にアドバイスもしたカラヤンのメッセージとサインが飾られています。
20100328 サントリーHオープンハウス2.JPG

カラヤンは最初のコンサート後に「音の“宝石箱”のようだ」と語ったとのこと。

ロビーには宮廷時代の扮装をした人も案内していました。
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2階に上がる階段の手すり部分の意匠。麦の穂。(ビールの原料)
20100328 サントリーHオープンハウス4.JPG

1階の小ホール「ブルーローズ」入口の白い壁に一輪の青いバラ
須田悦弘さんの木彫作品です。
サントリーが開発に成功した青い薔薇の品種。青い花を作り出すのは奇跡とも言われています。よって、花言葉は「夢かなう」

通路の壁にはやはり「麦」というタイトルのモザイク壁画。溜池山王駅13番出口の通路にも同じアートが飾られています。
絨毯の色はワインレッド
ドリンクコーナーINTERMESSO(間奏曲)にはウィスキーの山崎・響やビールのザ・プレミアムモルツも置かれています。ここは日本のコンサートホールで最初にアルコールが飲めるようになったそうです。

では、ホールの中に入りましょう。
20100328 サントリーHオープンハウス5.JPG

このホールはベルリンフィルハーモニーの劇場と同じヨーロッパ式の造りでシートは2006席。
ステージに向かって右側をR(Right)、左側をL(Left)、真ん中をC(Centre)、ステージの背後の段々畑状(ヴィンヤード形式)になっている座席はP(Podium)、ステージから後ろに向かってABCD席と続くスタイルをヨーロッパ式というそうです。

パイプオルガンも間近に見ることができました。
20100328 サントリーHオープンハウス8.JPG

ホールの壁は偶然だそうですが、ウィスキーの樽と同じオーク材。
シャンデリアのガラスは一枚一枚が葡萄の葉の形をしており、全体でシャンパンの泡を表現。

【おまけ】
先日、会員になっているフィットネスクラブの文化サロンで聞いた「オペラと歌舞伎」の話。

・古代ギリシャ・ローマの文化が5,6世紀にフランスやイギリスなど他のヨーロッパに広まったことと、中国文化が日本に伝わったことに文化的発展の類似性が見られる。
・キリスト教にとって、キリストは創造主であるのに対し、仏教におけるブッダは哲学者(悟りを開いた人)。
・ギリシャでは肉体(特に男性)を賛美し、裸の彫刻がたくさん作られた。
一方で、ローマでは肉体は悪の快楽をもたらすものとして、裸は隠せ、とされた。それで、ローマ風呂は廃止され、ステージ上でセックスをしていた演劇や音楽も廃止された。その時、キリスト教が台頭してきた。
・ルネッサンスの時期になり、過去を見直そうという動きのなかで演劇も復活。フラストレーション解消になった。
ローマカソリック教会から破門された人たちが役者となって演じた芝居で、おもに即興劇だった。
英国国教会のイギリスではジェントルマン(観客)の出現によりシェークスピア劇などの芝居が発生した。
・1600年前後、ヨーロッパではオペラ、日本では歌舞伎(出雲阿国の念仏踊りが発祥)の原型が始まった。
ローマでは女性が役者になるのは禁止。女のいない演劇(オペラ)が行われ、カストラートという去勢された男性が女役を演じ、普通の男性が男役を演じた。
一方、日本では、女が芝居に出ると遊郭になってしまうということで歌舞伎は男のみとなり、女形が女を演じることになった。

その時に聞いた話によると、オペラでは「歌っている」のではなく「語っている」のだそうです。
とは言うものの、オペラの歌は理解できないので歌舞伎のようにイヤホンガイド(解説)があるとわかりやすくていいのになぁ。

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いきで素敵な江戸しぐさ [学び]

一週間前の記録です。
1月31日(日)、水道橋駅近くの庭のホテル東京が定期的に開催する三崎町サロンに参加しました。(14時~15時半、参加費3,500円)

20100131 江戸しぐさ.JPG

いきで素敵な江戸しぐさ 其の三」というテーマで講師は越川禮子さん。(お歳はなんと84才!)

江戸しぐさの「しぐさ」は漢字をあてると「思草」(心がけが言葉に表れる行為)であって「仕草」(あることをする時の表情や所作)ではありません。
商人(あきんど)しぐさとも言い、江戸の城下町に住む町方のトップに立つ人たち(今でいう経済人)の生き方や考え方が瞬間に現れる目つき、表情、ものの言い方、身のこなしのことを指すそうです。

「江戸っ子」の5つの条件
(1)江戸しぐさができる
(2)時泥棒にならない(相手の時間を盗まない)
 例えば、電話をかけて「今、少し話してもいいですか?」と気遣える。
(3)肩書を気にしない
(4)遊び心がある(知識ではなく感性、センス、知恵を比べ競う)
(5)世辞が言える(お世辞とは違う)
 例えば、「こんにちは…」のあとに大人らしい言葉(お愛想)を続けられる。

noblesse oblige(ノーブレス・オブリージュ、高い身分に伴う義務=人に寛大で立派にふるまうこと)にも通じる概念です。

「江戸しぐさ」の教え
(1)健康: 自然(じねん)に生きることが大前提=無理をしない
 人間は元気でないといけない。元気が自然の状態。食事は同じものばかり食べない。
(2)人間関係: 外国人(とつくにびと)と赤の他人との付き合いを大事に
 異文化との共生には、互角で向き合い、言い合い、付き合う。自分を謙り、相手を立てる。
 プライバシーを守る。“いき”の反対語として“野暮”がありますが、「どちらへお出かけ?」と相手の行き先をたずねるのは野暮、「お出かけですか?」という程度にとどめる。(レレレのおじさんは江戸っ子だったのですね)
(3)平和: 争わない

人間関係を円滑にする言葉遣いや思草について他にもいろいろあり、印象に残った話。
●見てわかることは言わない。読んでわかることは訊かない。
 例えば、「最近お太りになりましたね」というのは失礼。
●相手から気分を害す言葉を発せられたら、その前に自分がどういう言葉を発したか、振り返ってみる。(売り言葉に買い言葉という表現もありますしね)
●人に紹介するというのは自分に責任を持つということ。やたらと紹介しない。(自分で判断してくださいという気持ち)

講演の冒頭に話された言葉が実は一番心に響きました。
「しぐさは知っていても(知識)しようがない。していないと(実践)意味がない」

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日本の近代 始めにあって今はなきものとは [学び]

先週の金曜は会社の社外講演会で慶應丸の内シティキャンパス(丸ビル内)の「夕学五十講」を受講してきました。

講師は東京大学大学院総合文化研究科のロバート・キャンベル教授。
ニューヨーク市生まれでUCバークレー校、ハーバード大学大学院を卒業された近世から明治時代の日本文学を専攻されているアイルランド系アメリカ人の方です。
容姿を見ずに話だけを聞いていると、まるで日本人。おまけに古文の変体仮名や漢文を読みこなされます。驚き。(日本在住、二十数年とのことですが、私も海外にそれだけ暮らすと英語ペラペラになるのかしらん)

キャンベル氏は、10代の頃、「とにかく外の世界に出たい!」という思いでレッスン用に持っていたフルートを親に黙って売ってフランスに渡り、2か月ほど現地でアルバイトをして生活したそうです。すごい決断力と行動力!

講演の要旨は、おおまかにいうと次のとおり。

幕末の時代から明治初期(最近話題の坂本龍馬の時代ですね)の日本人は、外からの文化を積極的に採り入れようとしていた。
その時代は、社会がせわしなくなり「時間の感覚」の変化が起こった。つまり、時間に価値観を見出すようになった。(‘時は金なり’ということですね)
また、「空間の感覚」にも変化が。社会的空間=世間がせまくなってきて、それまで曖昧だった「境界」という概念が生まれた。

一方で、現代の若者は自分たちの将来に漠然とした不安を抱き、失敗してもいいから自分で決めて何かをやろうとする姿勢に欠ける。

講演会に参加すると、講師の話の中から学ぶことも多いのですが、聞いた話が刺激になって普段は考えないことを自分なりに考える機会となるのがいいところ。
以下、私がつらつらと考えたこと。

(おおぐくりで語りますが)最近の若者。
“草食系男子”という呼び方もでてきましたが、弱体化しているような気がします。
いじめられたくないから無難に振舞う。仲間はずれにされたくないからケータイでしきりにメールして友人とつながっていようとする。未知の世界、リスクを避け海外旅行をしようとしない。
彼ら自身に起因するのかもしれないし、大人が若者を弱体化させたのかもしれない。
詰め込み教育から解放させようと「ゆとり教育」を始めたり。順位をつけるのはかわいそうだと運動会の駆けっこでは皆一緒に手をつないでゴールさせたり。先走って子供をかばう“モンスターペアレント”が登場したり。

人間は一人ひとりが違っていて当たり前なのに。(多様であることが社会の前提)
一つの正解を出すことは得意な日本人。現実に起きている事象を受け止め、そこから想像力を働かせて問題解決し新しい方向に向かっていくことのほうが必要だと思う。

【おまけ】
当日の午後は会社をお休み。表参道の行きつけのヘアサロンへ。
十数年ぶりにパーマをかけました。仕上がりは…似合っているのかわかりません。なにしろ、ずっとストレートだったので自分の髪形に見慣れなくて。(昔のアニメのサリーちゃんみたいです。通じる?)
今井美樹みたいなショートに軽くウェーブがかかった髪形が最近気になるんだけど、彼女みたいに顔の輪郭すっきり、頭の形もきれいじゃないしねぇ。

そして、講演会前に遅いランチ(早めの夕食)を新東京ビル地下のAfternoon Teaティールームで。

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白かぶ、チキン、水菜、ほうれん草。白ごまと柚子こしょうのきいたクリームソースが絶妙。なかなか思いつかない組み合わせ。

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タグ:カフェ 講演
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熊倉功夫氏講演会 「根津青山の茶の湯」 [学び]

根津美術館 新創記念特別展 第二部「根津青山の茶の湯」展に合わせて開催された特別講演会。林原美術館館長の熊倉功夫氏のお話を聞きました。

NHK教育テレビの茶道関係の番組で何度も拝見していましたが、実際に肉声を聞くと、本当に穏やかな話しぶり。つい、途中で眠りに落ちてしまいました(反省)

講演のテーマは 「明治後期から昭和15年までの半世紀の間、日本の茶の湯がいかに豊かなものを生み出したか」

千利休や秀吉たちが活躍した桃山時代に栄えた茶の湯。
大名により支えられていた茶の湯は明治維新により変化。三千家の家元には弟子がいなくなるなど、茶人の衰退が始まったのが明治のはじめのこと。

しかし、明治20~30年代になると生業としての茶人による茶の湯から、趣味として茶を楽しむ数寄者のなかで茶の湯が盛んになる。
以降、昭和15年くらいまでのおよそ半世紀が数寄者による日本の茶の湯が栄えた時代

数寄者(茶をたしなむ人、風流な人)は“モノ好き”に通じ、さまざまな茶道具、調度品を手に入れた。そして、お互いが主催する茶会に招き合い、道具類を披露し批評し合った。
そんな数寄者として挙げられるのが、益田鈍翁高橋箒庵根津青山(初代根津嘉一郎の号名)ら。
彼らは田舎から都会に出てきて事業で成功、財を成した人が多く、成功の暁には新しい国家を築きたい、健全な若者を育てたいという高い志を持っていたそうです。(根津嘉一郎は山梨県出身で、のちに武蔵野高校を設立)

そんな数寄者たちが“桃山時代”を復活させたが、昭和15年は茶の湯における転換点となる。

理由1:昭和12年から14年にかけて根津青山、高橋箒庵らが亡くなり、
理由2:昭和15年に日本の税制改正が行われ、個人所得に対する課税や相続税が多く課されるようになり、
戦後、数寄者が減少。数寄者の存在が社会的に許されなくなった。
それまでは事業の成功により得た個人財産を自由に使えた時代であり、その使途は個人消費のみならず慈善活動にも及んだが、法改正によりそれができなくなった。

講演の参考資料として、高橋箒庵が根津青山の茶会にまつわる話を書いた書物のコピーが配付され、熊倉氏の解説を聞いたあとで実際に茶会で使われた茶道具や器を見るとますます理解が深まり、味わいも出てきます。

講演で私が最も興味深く思った内容は、国の法制度の改正が経済活動や文化活動に多大な影響を与えたこと。(日本の文化財産はある意味、数寄者と言われた実業家や財閥家の人たちによって守られ、支えられていた)

また、山梨大学 教育人間科学部の齋藤康彦教授は、大寄せ茶会などの会記の内容(出席者)から、近代数寄者たち(実業家)の交流・当時の経済人たちのヒューマンネットワークについて研究されている、という話も今までにない視点で非常に新鮮に感じた。

アプローチを変えるといろんな事象がイキイキと浮かび上がってくる。今回の講演会参加の収穫。

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ドナルド・キーン氏講演会「日本美術と自然」 [学び]

根津美術館 新創記念特別展 第一部「新・根津美術館展」に合わせて開催された特別講演会。アメリカ人の日本文学者、ドナルド・キーン氏の「日本美術と自然」を聴いてきました。(事前に往復はがきで参加申込み)

文章を読み、写真や映像で拝見することはありましたが、実際にご本人の肉声をお聞きしたのは初めて。根津美術館のB1Fにある講堂で間近に姿を拝見することができました。

1922年の日本生まれだそうで87歳。日本とアメリカで一年の半分ずつを過ごされるとのこと。昨年、日本人以外ではじめて文化勲章を受章されました。
耳は聞きとりにくくなっているようですが、口調はしっかり。あらかじめ用意された日本語原稿を読みながら話をされましたが、時おり笑いを誘うほど流暢な日本語。発音はアメリカ人っぽいのですが、日本語の語彙、文章力はさすがです。

話のテーマは「日本人の季節感、自然に対する思い」

日本人がごく当たり前のこととしてやっている手紙の冒頭に季節の挨拶を書くこと。(例えば、「紅葉の季節となりました。お元気でお過ごしのことと存じます」のような書き出し)
私たちは無意識に、常識としてやっていますが、キーン氏いわく、これは日本人独特の習慣で他の国では見られないことのようです。

さらに、季節の移ろいを自然に日常の中に取り入れているとも。
『古今集』の歌は春夏秋冬の順に並んでいて、梅の歌のあとに桜の歌が登場し、決してその逆はない、と。
西洋の詩集では詩人の生年順や名前のアルファベット順に並べられるのが普通。

演劇においても日本の能は季節に合わせて演目が選ばれるが、シェイクスピア劇やオペラは年中いつでも何の演目をやっても違和感がない。

日本人は一年に二回時期が来たら衣替えをし、食べ物も初物・旬を楽しみ、食器も夏はガラス器を使うなど季節によって替える。

また、日本では『源氏物語絵巻』のように文学と美術が合わさって一つの作品となり、相乗効果を生んでいる。
西洋では文章に挿絵が添えられることはあっても、絵に歌を添えることはないらしい。
そして、描かれる絵の中では人物の顔はみな似たり寄ったりである一方で、植物の葉は枯れた部分があったり虫食いがあったり描写が細かい。人物よりも自然のほうが詳しく描かれている。

日本では歴史的に天災(自然災害)が多く、それによる飢饉も起きたにもかかわらず、日本人は自然を憎まず自然を愛する国民である。

以上が講演の概要です。

常々感じていた、日本人は四季を大事にする国民である、ということを日本人ではないキーン氏に例を挙げて説明されて再認識しました。
気候のみならず、衣食住に四季のある日本は本当に美しい繊細な文化のある国だと思います。

【おまけ】
講演会参加のお土産。

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美術館所蔵の国宝 燕子花図屏風(尾形光琳)などのハガキをいただきました。ラッキー。

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ワインセミナー [学び]

きのうの夜は赤坂でワインセミナーに参加し、そのあと皆で韓国料理を食べに行って帰宅は久しぶりに午前様。楽しい時間を過ごしました。

先日久しぶりに会った昔の教え子Yukiちゃんをセミナーの講師に招き「夏のワインを楽しむ ~ワインのABC」というテーマで2時間あまり。(話が弾んで予定時間を軽くオーバー)

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今回は赤坂の会議室をお借りして私の友人たちを中心に6人が参加。

彼女手作りのオードブル(モッツァレッラのジェノベーゼ和え、夏野菜たっぷりラタトゥイユ、桜エビとヨーグルトのディップ)にフランスパンをおつまみに、スパークリングワイン(スペインのCava)とフランスの白ワイン4種(それぞれブルゴーニュ、ボルドー、ロワール、ローヌ地方のもの)をテイスティングしながら産地やブドウの特徴などについて学びました。(私は途中から酔っぱらって、どれがどれだかわからなくなっていましたが)

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Yukiちゃんは、「暮らしの中に和魂洋才」というコンセプトでWakonnという会社をひとりで頑張ってやっています。
ワインだけでなくフラワーアレンジメント、テーブルコーディネートなどいろいろやっているので、また何か楽しい企画を一緒にやろうかな、と考えています。(興味のある方はこちらにアクセスしてみてください) 

会議室の会場では殺風景でしょう、と自分でアレンジしたお花を持ってきて帰りにプレゼントしてくれる優しさもある子です。(姉目線の私)

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タグ:ワイン

宿屋塾 かよう亭 [学び]

今日は終業時刻にベルサッサ(この表現、通じるかな?)

「宿屋塾」というオータパブリケイションズというホスピタリティ業界の情報発信をしている企業が主催の勉強会に参加するため。(西早稲田の東京YMCA国際ホテル専門学校にて。参加費3000円)

参加のきっかけは本当に偶然。
ホテル関連の事業を行っている外国企業(私がイギリスで出向していた会社)の経営管理をしている関係で、業界誌を職場で定期購読をしているのですが、発行元の方が先週来社され一時間ほど話をする機会があり、ウェブサイトにアクセスしたところ宿屋塾の講師に石川県、山中温泉の旅館かよう亭のご主人、上口昌徳氏がいらっしゃるとの情報。

金沢に暮らしていた時から旅館もご主人の名前も知っていましたが、若かった頃はまだ何となく旅館は敷居が高くて行ったことがありませんでした。
しかし、今回、こういうご縁で話を聞けることになりました。

いくつか印象に残った内容をご紹介します。

●利潤を追わず、理想を追い続けてきた
実父が経営していた大旅館から10室だけの小規模旅館に転換。宣伝をいっさいせず、利用されたお客さんがリピーターとなり、口コミで新しいお客さんを呼び込んでいる。
出所がわかっている安心できる食材を使った料理。

●「金持ち」ではないが「人持ち」
いろんな人との出会い、つながりが一番の財産。

●「表日本」VS「裏日本」
「裏」は暗い、陰気、汚いという悪いイメージがあるが、裏日本には日本の良いものがたくさん隠れている。自然、人々のよさ。

●お客様が宿の風格を作る
特に旅館は日本人のお客様

●経済状況が厳しい現在こそチャンス
繁忙時の半分のお客様に倍の質のサービスを提供できる。そうすればお客様は倍の満足・感動が得られ、口コミでより多くのお客様が訪れてくれる。

●日本のおもてなしは自分を無にすること
見返りを求めない、相手を喜ばせようという純粋な心

●「全体の繁栄」が第一
結果としての「個の繁栄」

●風土
「風人」は新しい風を起こしてくれる人、「土人」は地域に根ざしている人。両方あってこそ地域の発展がある。

お話を聞きながら、いろんな意味で元気をもらいました。
77歳をすぎたお歳でいきいきと夢を語る姿に勇気。もうすぐ82歳になる父に伝えたい。
先日知った目黒雅叙園の創始者も石川県出身。郷土の誇り。
大好きなホスピタリティ業界でお客様に質の高いサービスを、と実直に取り組んでいらっしゃることに敬服と感謝。

講演が終わってから挨拶させていただきました。
私が能登の出身であること、共通の知り合いのことでしばし話が弾みました。

ひょんなことから参加した宿屋塾。「ご縁」に感謝です。
また、サプライズゲストとして中谷彰宏さんが進行役で登場。日頃から中谷さんの文章内容に共感する部分が多く、本人を間近にする機会となり、これも幸運。
今回もたくさんの学びをいただきました。

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タグ:旅館 石川県
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