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イースター島 終日観光ツアー [旅 タヒチ&イースター島]

イースター島でも天気にめぐまれ、早朝に降っていた雨も出かける前には止み、ツアー中は晴天。風が強かったり日が陰ると長袖を着ないと肌寒いくらいでしたが、日中は汗ばむほど。

島の東側をまわる2日目のツアーも盛りだくさんです!

1)アフ・バイフ(Ahu Vaihu)またはアフ・ハンガ・テエ(Ahu Hanga Tee)
モアイ像は村の祖先の象徴であり守り神。はじめは小さく作られたモアイも次第に大きさが増していった。
食料危機が起こると部族間の争いが始まり、島の住民たちは敵対する部族のモアイ像を倒し破壊した。モアイ像の眼から「マナ」と呼ばれるパワーが発せられると信じられていたため「マナ」の力を封じるために顔を下にして倒されたそうです。

こんな感じ。

20090819 1Vaihu2-1.JPG 8体が並んで倒れている

2)アフ・アカハンガ(Ahu Akahanga)
ここも海のそばにモアイ像がたくさん倒されている。

こんな小さなモアイも 20090819 2Akahanga4.JPG

20090819 2Akahanga2.JPG 高い波がすぐそこに

住居跡のそばにも大きなモアイがゴロリ。
20090819 2Akahanga6-1.JPG

3)アフ・トンガリキ(Ahu Tongariki)
やってまいりました、海を背に15体のモアイ像が立つ、イースター島最大のアフ

20090819 3Togariki6.JPG

島に1000体以上あるモアイ像のうち、現在立っているのは約40体。
この15体の修復・復元には日本のクレーン会社TADANOが1991年~95年に協力した。

お好きなモアイをお選びくださいませ。
20090819 3Togariki16s.JPG ズラーリと並ぶと壮観

帽子をのせた彼なんていかが? 20090819 3Togariki9s.JPG

4)ラノ・ララク(Rano Raraku)
ここはモアイの製造工場でもあり屋外展示場でもあった場所。
こんなふうに山の中腹に無数のモアイ像がニョキニョキと地中に埋まっていたり、運搬途中で倒して置き去りにされているものも。

20090819 4RanoRaraku14.JPG

20090819 4RanoRaraku5s.JPG 一般的なモアイのイメージ?

岩肌を削ってモアイの形を切り出していく製造途中。
20090819 4RanoRaraku9.JPG

ノルウェーの探検家トール・ヘイエルダールが発掘した、正座したモアイ像もいます。
20090819 4RanoRaraku10.JPG

5)アフ・テ・ピト・クラ(Ahu Te Pito Kura)
テ・ピト・クラとは‘光のヘソ’という意味。
全長約10mのモアイが倒れているアフのそばにはテ・ピト・オ・テ・ヘヌア(Te Pito O Te Henua、地球のヘソという意)と呼ばれる直径75㎝の磁気を帯びた丸い石がある。

20090819 5TePitoOTeHenua.JPG 
方位磁石をのせると針がおかしな方角を指す不思議な石。

6)アフ・ナウナウ(Ahu Naunau)とアナケナ・ビーチ(Playa de Anakena)
約1500年前、ホトゥ・マトゥア王(初代酋長)がイースター島に最初に上陸したのが、アナケナ海岸と言われている。
白砂のビーチで海水浴場になっている。

20090819 6Naunau3.JPG

ここに復元されたのがアフ・ナウナウ。砂に埋もれていたため風化せず保存状態がいい。(ここから発見された眼が博物館に展示されている)

20090819 6Naunau1s.JPG

20090819 6Naunau7-1.JPG

腰のフンドシの結び目やお尻のタトゥーが彫られているのがわかる。アフには古い小さなモアイの顔が使われていたり、トカゲの岩絵が彫られているものもある。


これだけ見ても、まだイースター島で見逃したものがいくつも。
 イースター島博物館(モアイの眼の本物、ロンゴ・ロンゴが刻まれた木片など)
 洞窟の壁画(Ana Kai Tangata)
 海中に沈むモアイ像(これはダイビングしないと見られないから難関)

「イースター島に行く(行った)」と言うと、「モアイの他に何があるの?」と聞かれる。
「モアイがたくさんあるんです。たくさんあるモアイを見るんです」と答えると、怪訝な顔をされる。何が面白いの?って顔で。

私にはモアイに逢えるだけで十分なのです。1000年以上も前から存在しているモアイと、自分が今、同時に存在していることがうれしかったのです。

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イースター島 半日観光ツアー [旅 タヒチ&イースター島]

お読みになっている皆さんのなかには、モアイはイースター島のどこか一か所にあるだけ、と思っている方もいらっしゃるかもしれません。
私も今回訪れる前に調べるまではそう思っていました。
しかし、島の周囲のほとんどの場所にモアイ像があるのです。なかには内陸にも。島全体では1000体以上もあるとか。

というわけで、イースター島での観光ツアーは3日に分けて島全体のあちこちにあるモアイ像を見る日程で組まれています。

では、いよいよモアイ像を見るツアーに出発だ~[ダッシュ(走り出すさま)]

当初の予定ではイースター島には二泊三日の滞在でしたが、到着が一日遅れたため、予定していたツアーも初日と2日目の半日コース(島の南西部をまわる)をアレンジしなおして催行。

いつもは風景写真ばかりですが、今回は友人が撮影してくれたのでモアイの大きさを感じてもらうために私も一緒に登場します。

1)アフ・アキビ(Ahu Akivi)
アフとは、モアイ像がのっている石を積み上げた祭壇のこと。アフ内は立入厳禁。
もちろんモアイにも触れてはいけません。
20090819 6Naunau11.JPG

島の中央近くにあるアフ・アキビ。7体のモアイ像が立っています。(1960年にアメリカ人考古学者ウィリアム・ムロイ博士によって復元された)

20090818 11Akivi7s.JPG

モアイ像は部族の祖先、神、王を表したものと言われるが、祖先の像という説が有力。(諸説があるほか、イースター島では文字ではなく口語伝承で昔の話が語り継がれているため、大筋では同じでも細部で違う話になっていることが多い)
この7体は、島に最初にやってきたホトゥ・マトゥア王の使者7人とも、7人の王子とも言われている。

モアイは海を背にして村を守るため集落のほうを向いて立てられた。しかし、このアフ・アキビのモアイは島で唯一、海のほうを向いている。

2)プナ・パウ(Puna Pau)
モアイ像の頭に載っている赤い石は赤色凝灰岩。その赤い石で作られた「プカオ」帽子、まげを結った髪と言われている。(初期のモアイ像には載っていない)

プナ・パウはプカオが切り出された場所で、丘に切り出し途中のプカオが無造作に放置されている。

20090818 12PunaPau4.JPG

3)アフ・ビナプ(Ahu Vinapu)
南米のインカの石組みに似た、隙間なく組まれた精巧なアフがある。

20090818 14Vinapu6s.JPG そばにモアイ像が倒れている

地面に埋もれて顔だけ出ているモアイも。
20090818 14Vinapu5s.JPG

4)ラノ・カウ火口湖(Rano Kau)
イースター島は火山の噴火でできた直角三角形のような形をした島。その三つの頂点には火山(休火山)があり、島の南西端にあるのがラノ・カウ山。巨大な火口湖ができている。

20090818 15Orongo7火口湖2.JPG ソフトバンクのお父さん犬?

5)オロンゴ儀式村(Orongo)
ラノ・カウ山の南側にあるのがオロンゴ儀式村。
17~18世紀、モアイ信仰が衰退したころ鳥人崇拝が始まった。
創造の神マケマケの化身である鳥人「タンガタ・マヌ」を選ぶため、年に一度、一番鳥が渡ってくる頃に行われたのが鳥人儀式。
各部族から選出された代表選手、ホプ・マヌたちは、オロンゴの300mの断崖絶壁を駆け下り、2㎞沖にあるモトゥ・ヌイ島(Motu Nui)に泳ぎ渡る。

20090818 15Orongo2.JPG 三つのうち一番向こうモトゥ・ヌイ
 
彼らはグンカン鳥が巣を作る洞窟で卵を産むのを待つ。卵を持って泳ぎ帰り、崖をよじ登ってきたホプ・マヌから最初に卵を手渡された族長が、その年の「タンガタ・マヌ」として島の政治の実権を握ることになる。

風化して見にくいが、鳥の頭をもつ鳥人の岩絵。
20090818 15Orongo6鳥人の岩絵.JPG

儀式村には石積みの住居があり、かなり狭い。
20090818 15Orongo4石室.JPG

6)タハイ遺跡(Tahai)
ハンガロア村の中心から歩いて10分くらいのところにある。
1968年と1972年にウィリアム・ムロイ博士によって修復、復元された。

20090818 10Tahai4VaiUri&Tahai s.JPG
海に向かって左側の5体はアフ・バイ・ウリ(Ahu Vai Uri)、中央の1体はアフ・タハイ(Ahu Tahai)

右側のプカオをのせた1体はアフ・コテリク(Ahu Koteriku)。眼(複製)が復元されている。(フランスの雑誌の写真撮影のために復元されたとのこと)

20090818 17Tahai4.JPG キスを試みる

細長いボートの形をした住居跡や炉の跡が残っている。
20090818 17Tahai2ボートハウスの住居.JPG

モアイ像越しに海に沈む夕日をのぞむ。

20090818 17Tahai1-1s.JPG

明日はもっともっと見るよ~

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イースター島 ハンガロア村散策 [旅 タヒチ&イースター島]

イースター島の唯一の村がハンガロア(Hanga Roa)
人口は約4000人。

村のどこからともなくニワトリが鳴く声が聞こえてきます。
20090818 3.JPG

村の中を歩いていると、犬がトコトコやってきて我が物顔で通り過ぎていく。

屋久島でも見た野生のポインセチアがここにも。大きい。
20090818 4-1.JPG

村のメイン通り、アタム・テケナ通り(Atamu Tekena)。かろうじて舗装されています。

20090818 5ハンガロア村のメイン アタム・テケナ通り.JPG

道の両側にはレストラン、カフェ、土産物店が並んでいる。
ただし、お昼13時頃~17時頃はシエスタの時間で店がしまっていること多し。(寝すぎ!なわけではなく昼食に自宅に戻るためらしい)

20090819 8HotuMaua'sFavoriteShoppe.JPG

島に最初に訪れたと言われるホトゥ・マトゥア王の名前をとった村一番の土産物店、Hotu Matua's Favorite Shoppe。個性的なアクセサリーやTシャツなど、種類が豊富で私もここでビーズアクセサリーなどを買いました。

港からの通り、テ・ピト・オ・テ・ヘヌア通り(Te Pito O Te Henua)の突き当たりにはハンガロア教会。ロンゴ・ロンゴの文字のような緑の飾りが可愛い。

20090818 18ハンガロア教会s.JPG

アタム・テケナ通りと交差する角にある公園。夕方には村の人たちが何となく集まってくつろいでいた。のんびりしていていいなぁ。

20090818 7公園2.JPG

歩いてすぐだと思って向かったイースター島博物館。結構歩いた。ヘトヘト。
お昼休み直前だったため肝心の展示を見逃したのが残念。「モアイの眼」や「ロンゴ・ロンゴ」の文字が刻まれた木板の本物が展示されているのに気づいても後の祭り。

そばには放牧されているお馬さんたちが犬に追い立てられて移動していました。

20090818 10Tahai1s.JPG

島のあちこちにはオレンジ色が鮮やかなデイゴの花(沖縄の県花)の木が見られますが、自生ではなく植林したものだそう。

20090818 8デイゴの花.JPG

夜には街灯もほとんどなく空は真っ暗。こんなにたくさん星があるのかと思うほど一面に無数の星がまたたいています。(写真を撮ってみたけど、真っ黒)
天の川もはっきり見える。南十字星を見つけようと友人と二人で星座図を広げて探しましたが、まんまとニセ十字に惑わされてしまいました。
それにしても時間を忘れて星空をながめるなんてどれだけぶりだろう。

騒々しい音もなく、人工的な光もなく、時間の経過がいつもよりゆったり流れる。会話をやめて二人でひたすら空を眺めていた。

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イースター島に一日遅れで到着 [旅 タヒチ&イースター島]

当初の予定ではタヒチ到着2日目の深夜にイースター島に向かう予定だった。
その出発が遅れることを知ったのは、船酔いで体調最悪だったために現地の旅行代理店のガイドさんに連絡したとき。
最初の連絡時は「数時間遅れかも」とのことだったが、夜になってガイドさんから電話があり「大変なお知らせ」を聞くことに。

イースター島で住民約20人が空港でデモを行い一時占拠しているため、サンティアゴからイースター島経由でタヒチに到着するはずの飛行機が出発できず、結果的に折り返し便のタヒチ発の目処がたたないとのこと。その時点では出発時刻は不明。

なんということ。。

よりによって私たちが乗る便がめったにない出来事が原因で飛ばないなんて。

ひょっとして私が“嵐を呼ぶ女”?
そう言えば、2004年12月のスマトラ沖地震が起きた夜、私は友人の結婚披露パーティに出席するため、ちょうどバンコクのホテルにいたのでした。
クアラルンプールに勤務していた時(1995年)は、帰国前の1月に阪神大震災、3月に東京地下鉄サリン事件が起き、かろうじて被害をのがれたこともありました。

デモの新聞記事。島旗を掲げる住民たちの写真が載っています。
20090818 21住民の空港デモ新聞記事.JPG

日本テレビのネットニュースでも紹介されていました。

これが一日遅れで到着したラン航空の飛行機と占拠された空港。

20090818 1EasterIsland到着.JPG

ちなみにイースター島の空港の滑走路、アメリカのスペースシャトルの緊急着陸用に修理・延長され、世界最長(約3300m)だそうです。

ようやく上陸!

では、イースター島について簡単におさらい。

●1722年のイースター(復活祭)の日にオランダ人のヤコプ・ロッゲフェーンが上陸したことから「イースター島」と名づけられた。
正式名称はIsla de Pascua(パスクア島)。チリの一部。
地元の言葉ではRapa Nui(ラパ・ヌイ、大きな土地という意味)。
●1770年、スペイン人フェーリペ・ゴンザレスがやってきて「サン・カルロス島」と命名し、スペイン領と宣言した際に、島の首長たちが宣言書にサインしたのが「ロンゴ・ロンゴ」という文字。

20090819 9ロンゴ・ロンゴ.jpg 
文字が木片に彫られたことから土産物にもなっている。
●1888年、チリ政府が領有宣言を行う。
●1966年、イースター島はチリの自治区となり、1995年にユネスコの世界遺産に登録された。

●位置的には、タヒチから約4000㎞、チリ本土からは約3800㎞、人が住む最も近い島とも約2000㎞離れている孤島。

●公用語はスペイン語だが、島の住民はラパヌイ語を使う。タヒチ人が起源とされるだけに言葉もタヒチ語に似ている。
こんにちは、さようならはIorana(イオラナ)。ありがとうはMaururu(マウルル)。

【おまけ】
秘境を旅する際の心得と準備。
・少なくともフライトとホテルは、個人手配よりも旅行代理店を通じて予約したほうが緊急時の対応が楽。特に、複数国を移動したり、就航便が限られている場合は代理店経由で連絡が入ったり手配できるので安心。
・旅行保険は「旅のお守り」。現地での病気や予期せぬ出来事に役立つことあり。

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タヒチ 屋台レストラン ルロット [旅 タヒチ&イースター島]

タヒチの名物に屋台レストランルロット(Roulotte)があります。
夕暮れ時(18時ごろ)、パペーテ港のモーレア島行きフェリーの埠頭そばの空き地に改造トラックがやってきます。(出店する屋台の種類も場所も決まっているそう)

20090815 8Roulottes2.JPG

中華、ステーキ、ピザ、クレープなどのルロットが10台近く。
トラックの中に調理台があって(中華は外に火力の強いガス台を置く)、トラックの周りにテーブルと椅子をならべ、一店あたり30~40席で満席になるくらいのキャパシティ。

日が暮れて19時近くなると、観光客のグループや地元の人たちが夕食を食べに集まってきます。
私たちも初日と3日目の夕食に利用しました。

まずは中華のお店。
20090815 8夕食Roulottes中華.JPG

中華でも(注文しなくても)バゲットが普通に出てきます。さすがフランス領。
注文したのは炒飯スペシャル海老と野菜の炒め物。二品で2,700CFP(フレンチ・パシフィック・フラン)1CFP=約1.2円なので、約3,200円!タヒチの物価は正直言って高いです。東京と同じくらいでビックリ。屋台だからと言って侮れません。

体調が復活した3日目の夜はガッツリと肉が食べたい気分になりステーキ(Steak Salade Russe)を注文。
20090817 6夕食SteakSaladeRusse&PoissonCru.JPG

添えられているのはピンク色のタロ芋をぶつ切りしたポテトサラダ。
もう一皿はタヒチ名物のポワソン・クリュ(Poisson Cru)。生魚のぶつ切りとキュウリなどの野菜をココナツミルク、レモンでマリネしたもの。さっぱりした酸味で美味しい。
ルロットではアルコールを提供しないのでソフトドリンクで。

お店は深夜24時ごろまで営業。
夜道を歩くのは要注意ですが、私たちのホテルからは5分ほどの距離。

20090817 5夜のポマレ通り.JPG

写真の左上、客船の明かりの手前の照明のかたまりがルロットの場所。

この夜、いったんタヒチを離れイースター島に向かいます。

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タグ:タヒチ 屋台
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タヒチ ドルフィン・ウォッチング・クルーズ [旅 タヒチ&イースター島]

それは受付カウンターの女性のこの一言から始まった。
“You are so lucky. You will see dolphins and whales as well. So, it will take about three hours not two hours.”

宿泊ホテルに朝7時半に迎えがあり、クルーズの出発場所であるInterContinental Resort Tahitiの桟橋で胸を躍らせながら友人と水上バンガローの写真を撮ったり、水着の肌に日焼け止めクリームを塗りあったりして待つ。

20090816 1InterCon水上バンガローs.JPG

私たち二人のほか、ほとんどがフランス人のカップルで、計11人の乗客を乗せた屋根付きボートは少しずつ加速し沖に出る。

20090816 2ドルフィンウォッチングツアー3.JPG

出発して約30分。水面からイルカの三角の背びれが浮き沈みするのが見えた!(遭遇率は90%以上とか)

20090816 2ドルフィンウォッチングツアー6s.JPG 三、四頭のグループ

ボートを移動させながら他の群れも見る。動きが速くて写真に収められない。

20090816 2ドルフィンウォッチングツアー11.JPG逆光でボケてるけどイルカの姿

私はこれで十分だった。
しかし、ボートはさらに沖に向かう。
ラグーンを越えるとますます波が高くなる。波頭が目線より高く見える。
タヒチはサーフィンの発祥地。たしかにいい波だ(と思う)。

20090816 2ドルフィンウォッチングツアー13.JPG

ボートのキャプテンとナビの二人はクジラ探しに懸命。ついにタヒチ島から20km離れたモーレア島の沖にまで来てしまった。

20090816 2ドルフィンウォッチングツアー14.JPG 青い海、白い砂、起伏のある山々

この時点で出発から2時間経過。これから引き返せば予定通りに陸に戻れる(はずだった。。)

 ~ 撮影中断 ~

想い起こせば、私の船酔いのヒストリー。
淡路島へ渡る高速船で酔い止めの薬を飲んだにもかかわらず乗船時間のほとんどをトイレで過ごす。
バリ島に旅行した時、近くの島へアイランドホッピング。トイレに先約ありで海に向かって…(食事中の方、すみません)
そして今回、途中からは舟板に腹ばいになって倒れこみ、ひたすらボートの揺れに耐えながら、急にガバッと起き上がり海に飛び込みそうな勢いで側板へ。私の朝食はすべて海のお魚さんの餌に…(再び失礼!)私が海のほうに駆け寄るたびにフランス人のムッシュが腕を支えてくれました。メルシー。

桟橋に到着したのは出発から5時間半後!!
使命感に燃えていたキャプテンとナビの努力むなしく、結局クジラには遭えず。
(っていうか、このクルーズ、もともとドルフィン・ウォッチングですから。クジラはオマケ程度でよかったのに。。)
他の乗客も気分が悪くなり、途中で下船した人や気持ち悪くなるのを避けるため、ずっと立ちっぱなしの人もいたとか。(友人談)

20090816 2ドルフィンウォッチングツアー18.JPG 

マッサージでリラックスしているのではありません。死人状態の私[がく~(落胆した顔)](写真撮影は私の許諾済)
イルカを見た感動もとっくに消え去り、私の胃の中は空っぽ。
足元はフラフラ、体温は下がり唇は紫色、手は冷たく。

少し落ち着いたのでホテルに送ってもらい、何もせずにとにかく眠る。
介抱してくれた友人がいなければどうなっていたことか。

20090816 2ドルフィンウォッチングツアー19.JPG

固形物を受け付けない胃のためにジュースとマックシェイクで水分と糖分を補給。暴飲暴食対策のために持っていったパンシロンがこんなところで役立つとは。

あー、船のトラウマが。。

【おまけ】
旅先で問題が発生したときの対処方法。
不満をもちこさずに、問題点(事実)をその時点で伝えることが大事。
今回、クルーズの主催者の受付カウンターの女性、クルーズのキャプテンとナビの二人に直接、予定の所要時間と内容からかけ離れすぎていることをクレームし、手配してくれた現地の旅行代理店にも体験した状況を伝えました。(おかげで、その日の予定が完全に狂ってしまったことも)
済んでしまった時間は戻りませんが、次に利用する人が同じ目に遭わないようにするためにもクレームすることは意味があると思います。

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タヒチの中心 パペーテ散策 [旅 タヒチ&イースター島]

タヒチ島の中心はパペーテ(Papeete)。
ポリネシアの匂いとフランスの香りの両方が感じられるダウンタウンです。

私たちが泊まったホテルの部屋は海沿いのポマレ大通り(Boulevard Pomare)に面していて車の音がビュンビュン聞こえてきます。(ポマレとは、かつてタヒチ一帯を支配していた王家の名。1880年、ポマレ5世が主権をフランスに譲渡した

20090815 2朝のポマレ大通り モーレア島.JPG
海の向こうに見えるのがモーレア島(Moorea )

ホテル(Hotel Tiare Tahiti)と隣の中央郵便局の間の小路を入っていくと、もう一つの大通り、ド・ゴール将軍通り(Rue General De Gaulle)の向こうに緑が鬱蒼と茂るタラホイ広場。議事堂や総督官邸がある場所です。

20090820 3タラホイ広場.JPG タヒチには2,000m級の山あり

二つの大通りに挟まれたファレ・トニー(Fare Tony)とヴァイマ(Vaima)という二つのショッピングセンターを通り過ぎるとカテドラルの可愛い色のトンガリ屋根の建物が見えてきます。(1875年建立)

20090815 3カテドラル1s.JPG

タヒチの住民はほとんどキリスト教徒で半分以上はプロテスタント。
ステンドグラスの絵も南国風。ティキやカヌーを漕ぐ人が描かれています。

20090815 3カテドラル4.JPG

しばらく行くと地元の人たちの市場でもあるマルシェがあります。

20090815 4マルシェ1.JPG

1階は花、野菜、魚などの生鮮品が中心。ポリネシア独特のヤムやタロ芋が売られていたり、青い魚やマグロの切り身がSashimiという名で売られています。

20090815 4マルシェ2.JPG
左の茶色いのは調理用バナナ、フェイ 20090817 2.JPG

2階はセルフサービスのカフェやパレオ、貝のアクセサリー、木彫りのティキなどの土産物を売る店がぎっしり並んでいます。
20090817 4Tiki.JPG

マルシェが開くのは朝7時(日曜は5時)からで早い。私たちが到着した15日(土)は現地の祝日(聖母被昇天祭)、日曜とともにほとんどの店が閉まっていました。

さらに歩くとリゾートホテルのようなパペーテ市役所が建っています。

20090817 3Papeete市庁舎.JPG

街の中心部は1km弱で十分に歩ける範囲。歩きつかれたらカフェやバーでフルーツジュースや地ビールで喉をうるおせばいい。

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