ブエノスアイレス市内観光 5月広場周辺 [旅 アルゼンチン]
ブエノスアイレスでの二日目は夕方までの時間、市内観光のツアーに出かけた。
日本人ガイドの案内でお昼まで効率的にまわった。
最初に向かったのはブエノスアイレスの中心部、モンセラート地区(Monserrat)の5月広場周辺。
ここには歴史的にも政治的にも重要な見どころが集まっています。
ピンク色の建物は大統領府(La Casa de Gobierno、カサ・ロサーダCasa Rosada)。
1873-1894年に建設されたスペイン・ロココ調の建物。
かつてのブエノスアイレスの要塞で、その後、一方の角は郵便局、もう一方は大統領府となった。
バルコニーはペロン大統領とエビータ夫人が演説したことで知られている。
ブエノスアイレスは「南米のパリ」とも呼ばれる都市。
建物もヨーロッパ風です。
右側の通りの向こうに、街の象徴的存在のオベリスコ(高さ67m)があります。
7月9日大通り
7月9日大通りに面してイタリア・ルネサンス様式のコロン劇場が立っています。
ミラノのスカラ座に次ぐ世界第二の大きさで、パリのオペラ座と合わせて世界三大劇場とされている。
スペイン植民地時代は行政機関として、独立後はブエノスアイレス市議会として使用されている白い建物はカビルド(Cabildo)。
5月広場はアルゼンチンの民主主義の原点となる場所。
1810年5月25日、植民地としてスペイン政府に操られることに耐えられなくなったクリオージョ(現地生まれの白人)たちが引き起こした「5月革命」。(この日を名前にした通りもある)
当時のリオ・デ・ラ・プラタ副王の退位と自治政府の設置を迫って人々がカビルドに集結し、この広場で独立宣言を行った。
5月広場から真っすぐ西、大統領府と対面する形で国会議事堂が立っています。
さらに、ネオ・クラシック様式の建物が大聖堂(Catedral Metropolitana)。
12人の使徒を表す12本の柱
正面右側に燃える炎は1827年の完成当時がから現在にいたるまで絶えることなく燃え続けているそうです。
南米解放の父、ホセ・デ・サン・マルティン将軍の柩が、アルゼンチン、チリ、ペルーの聖女の像に見守られて安置されていて、柩の部屋の入口には近衛兵が200年前の独立軍のデザインを復元した軍服に身を包み、交替で護衛にあたっています。
【おまけ】
地下鉄スブテ(Subte)の5月広場駅への入口。
ブエノスアイレスの地下鉄の歴史は古く、最も古い路線(A線)が開通したのは1913年。
当時、東京い地下鉄を造ろうと計画していた日本から視察に来たそうで、銀座線のモデルになったとのこと。
そして、現在走っている車両には東京の丸ノ内線や名古屋の東山線のお古が使われているとかで、言ってみれば逆輸入ということですね。
世界で最初にボールペンが販売されたのもアルゼンチンだそうですよ
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日本人ガイドの案内でお昼まで効率的にまわった。
最初に向かったのはブエノスアイレスの中心部、モンセラート地区(Monserrat)の5月広場周辺。
ここには歴史的にも政治的にも重要な見どころが集まっています。
ピンク色の建物は大統領府(La Casa de Gobierno、カサ・ロサーダCasa Rosada)。
1873-1894年に建設されたスペイン・ロココ調の建物。
かつてのブエノスアイレスの要塞で、その後、一方の角は郵便局、もう一方は大統領府となった。
バルコニーはペロン大統領とエビータ夫人が演説したことで知られている。
ブエノスアイレスは「南米のパリ」とも呼ばれる都市。
建物もヨーロッパ風です。
右側の通りの向こうに、街の象徴的存在のオベリスコ(高さ67m)があります。
7月9日大通り
7月9日大通りに面してイタリア・ルネサンス様式のコロン劇場が立っています。
ミラノのスカラ座に次ぐ世界第二の大きさで、パリのオペラ座と合わせて世界三大劇場とされている。
スペイン植民地時代は行政機関として、独立後はブエノスアイレス市議会として使用されている白い建物はカビルド(Cabildo)。
5月広場はアルゼンチンの民主主義の原点となる場所。
1810年5月25日、植民地としてスペイン政府に操られることに耐えられなくなったクリオージョ(現地生まれの白人)たちが引き起こした「5月革命」。(この日を名前にした通りもある)
当時のリオ・デ・ラ・プラタ副王の退位と自治政府の設置を迫って人々がカビルドに集結し、この広場で独立宣言を行った。
5月広場から真っすぐ西、大統領府と対面する形で国会議事堂が立っています。
さらに、ネオ・クラシック様式の建物が大聖堂(Catedral Metropolitana)。
12人の使徒を表す12本の柱
正面右側に燃える炎は1827年の完成当時がから現在にいたるまで絶えることなく燃え続けているそうです。
南米解放の父、ホセ・デ・サン・マルティン将軍の柩が、アルゼンチン、チリ、ペルーの聖女の像に見守られて安置されていて、柩の部屋の入口には近衛兵が200年前の独立軍のデザインを復元した軍服に身を包み、交替で護衛にあたっています。
【おまけ】
地下鉄スブテ(Subte)の5月広場駅への入口。
ブエノスアイレスの地下鉄の歴史は古く、最も古い路線(A線)が開通したのは1913年。
当時、東京い地下鉄を造ろうと計画していた日本から視察に来たそうで、銀座線のモデルになったとのこと。
そして、現在走っている車両には東京の丸ノ内線や名古屋の東山線のお古が使われているとかで、言ってみれば逆輸入ということですね。
世界で最初にボールペンが販売されたのもアルゼンチンだそうですよ
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タグ:ブエノスアイレス
ブエノスアイレス タンゴショー [旅 アルゼンチン]
いよいよ最後の訪問地、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスです。
8月14日の昼すぎに到着後、夜の活動にそなえてホテルでしばし仮眠。
こぢんまりした部屋
19時半、送迎車にピックアップされてタンゴショーの店へ。
場所はタンゴが育まれた地域と言われるサン・テルモ地区(San Telmo)にあるエル・ビエホ・アルマセン(El Viejo ALMACEN)(Esquina Ave. Independencia y Balcarce)
2009年に40周年を迎えた有名タンゲリーア
ショーの前に向かいのレストランでディナーです。
パンプキンスープ、牛ステーキ(Asado)。
ステーキはこれでハーフサイズですが、全部は食べきれませんでした。
デザートは別腹。(私はフルーツ)
さぁ、場所を移していよいよタンゴショーです。
生演奏に合わせて男女の物悲しくも激しい踊りが繰り広げられます。
バンドネオンの哀愁を感じさせる音色に合わせ、体を密着させ、時に脚をからませて踊る男女。独特の色気と情熱を感じます。
毎年8月に約2週間にわたって開催されるタンゴフェスティバルと世界選手権。
2012年は私たちが到着した8月14日から始まりました。(~28日)
情報によると、2009年のチャンピオンは日本のカップルだったそうです。
期間中、タンゴのレッスンやワークショップなどが無料で行われます。
ダンサーが杉本彩に見えたのよね~
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こぢんまりした部屋
19時半、送迎車にピックアップされてタンゴショーの店へ。
場所はタンゴが育まれた地域と言われるサン・テルモ地区(San Telmo)にあるエル・ビエホ・アルマセン(El Viejo ALMACEN)(Esquina Ave. Independencia y Balcarce)
2009年に40周年を迎えた有名タンゲリーア
ショーの前に向かいのレストランでディナーです。
パンプキンスープ、牛ステーキ(Asado)。
ステーキはこれでハーフサイズですが、全部は食べきれませんでした。
デザートは別腹。(私はフルーツ)
さぁ、場所を移していよいよタンゴショーです。
生演奏に合わせて男女の物悲しくも激しい踊りが繰り広げられます。
バンドネオンの哀愁を感じさせる音色に合わせ、体を密着させ、時に脚をからませて踊る男女。独特の色気と情熱を感じます。
毎年8月に約2週間にわたって開催されるタンゴフェスティバルと世界選手権。
2012年は私たちが到着した8月14日から始まりました。(~28日)
情報によると、2009年のチャンピオンは日本のカップルだったそうです。
期間中、タンゴのレッスンやワークショップなどが無料で行われます。
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アルゼンチン・ブラジル・パラグアイ三国国境 [旅 アルゼンチン]
プエルト・イグアスから空港へ向かう前に立ち寄ったのが三国国境となっている場所。
地図上の赤丸で囲ったところです。
イグアスの滝から続くイグアス川がアルゼンチンとブラジルの国境、そしてパラグアイ側のパラナ川と合流するところが三国の国境になる場所です。(パラナ川の下流はラプラタ川)
私の体で表現すると、左手がブラジル、右手がパラグアイ、右足がアルゼンチンを指しています。
それぞれに国境を示すモニュメント(国旗の色)が設置されています。
アルゼンチン
ブラジル
パラグアイ
こんなふうに国旗も掲揚されています。
南国の植物ヘリコニアがあるかと思えば、日本でも見慣れた日々草も咲いていました。
いよいよブエノスアイレスへ~
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イグアスの滝から続くイグアス川がアルゼンチンとブラジルの国境、そしてパラグアイ側のパラナ川と合流するところが三国の国境になる場所です。(パラナ川の下流はラプラタ川)
私の体で表現すると、左手がブラジル、右手がパラグアイ、右足がアルゼンチンを指しています。
それぞれに国境を示すモニュメント(国旗の色)が設置されています。
アルゼンチン
ブラジル
パラグアイ
こんなふうに国旗も掲揚されています。
南国の植物ヘリコニアがあるかと思えば、日本でも見慣れた日々草も咲いていました。
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タグ:アルゼンチン
アルゼンチン Puerto Iguazuで何食べた? [旅 アルゼンチン]
アルゼンチンとブラジルの国境に位置するイグアスの滝。
大小270の滝の大部分はアルゼンチン側にあります。
そして、イグアスの滝へアプローチするアルゼンチン側の拠点となる町がプエルト・イグアス(Puerto Iguazu)。(ブラジル側はフォス・ド・イグアス、Foz do Iguacu)
その町での食事の記録です。
まずはA Piachereというレストランにて。
ギター演奏もあって、くつろいだ雰囲気のテラス席。
広いアルゼンチンの国。この地域は亜熱帯です。
注文したのは、ソーセージ(Chorizo)、ミニLomo Steak、グリーンサラダ、マッシュポテト。
三人だと少なめだったけど、まぁ、これくらいがちょうどいいかも。
飲み物はパタゴニアビール。
そして、三人それぞれが注文したデザート。(私はFlan=プリン)メインよりもボリュームがありますね。
二泊目の夜は宿泊ホテルのレストランで夕食。
白ワインはパタゴニアのスーパーで買って持ち込んだもの。
ビュッフェ料理だからと言って取りすぎかしら?野菜中心ということで。。
そしてワインは赤へと続き~
三人でボトル2本。その前に乾杯用にシャンパンを1杯。
ご機嫌で飲んでいたのはいいが、翌朝、二日酔いのためトイレとの往復で朝食をまともに食べられなかった私。まったく、何度この辛い思いを繰り返しているのやら。。
駆け足でイグアスを去ります
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大小270の滝の大部分はアルゼンチン側にあります。
そして、イグアスの滝へアプローチするアルゼンチン側の拠点となる町がプエルト・イグアス(Puerto Iguazu)。(ブラジル側はフォス・ド・イグアス、Foz do Iguacu)
その町での食事の記録です。
まずはA Piachereというレストランにて。
ギター演奏もあって、くつろいだ雰囲気のテラス席。
広いアルゼンチンの国。この地域は亜熱帯です。
注文したのは、ソーセージ(Chorizo)、ミニLomo Steak、グリーンサラダ、マッシュポテト。
三人だと少なめだったけど、まぁ、これくらいがちょうどいいかも。
飲み物はパタゴニアビール。
そして、三人それぞれが注文したデザート。(私はFlan=プリン)メインよりもボリュームがありますね。
二泊目の夜は宿泊ホテルのレストランで夕食。
白ワインはパタゴニアのスーパーで買って持ち込んだもの。
ビュッフェ料理だからと言って取りすぎかしら?野菜中心ということで。。
そしてワインは赤へと続き~
三人でボトル2本。その前に乾杯用にシャンパンを1杯。
ご機嫌で飲んでいたのはいいが、翌朝、二日酔いのためトイレとの往復で朝食をまともに食べられなかった私。まったく、何度この辛い思いを繰り返しているのやら。。
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一足お先に冬休み [日記]
きのうから早くも冬休みに突入!
なぜなら、きのうから今日にかけて人間ドックだったから。
こちら、ホテルのロビーではありません。メディカルセンターのロビーです。
高級感あふれるセンター内は、廊下は絨毯敷き、椅子は布張り。
セレブ感満載です。
初日の昼食は松花堂御膳。
朝ごはん抜きだったので、おいしく完食しましたことよ。
しかし、午後からも検査があったため検査着にスリッパのままで食事。なんだか場違いな感じ?
そして、自由時間となった午後は東京ミッドタウンへ。
言い忘れました。メディカルセンターは青山一丁目駅そば(赤坂)でした。
赤坂の裏通りを歩いていると、異国情緒を感じさせる建物が。カンボジア大使館です。
出かけるのが遅かったので、ミッドタウンのイルミネーションを見ることができました。
この冬、すごく寒さを感じるので、ユニクロでヒートテックのまとめ買い。
宿泊ドックだったので赤坂のホテル(と言っても、宿泊客の多くが外国人というお手頃な会館)に戻り、夕食。
これまた松花堂御膳。おまけにデザートにチョコレートケーキまでついてきた。
ドック用のメニューなので、カロリー計算されているはずなのだけど、どう考えてもカロリーオーバーだと思う。
これじゃ太っちゃうよ。
そうそう、初日の終わりにその時点での検査数値を見ながら医師との問診があったのだけど、「標準体重ピッタリ、素晴らしいですね」と褒められましたが全然うれしくない。それって一般的には太り気味ということですから。。
(今の私、まるで岸田劉生の「麗子像」なのです)
そして、二日目の今日は糖負荷試験のみだったので、採血の合間に待合コーナーでせっせと年賀状書き。無事投函。
昼前には検査終了。
ランチは洋食のコース。
グラスワインは追加注文です。
一年間頑張ってきた自分へのご褒美♪
年末の人間ドックってなんだかいい感じ。
少し早めに仕事を切りあげて、体のメンテナンスとともに、ゆったりとした時間を過ごしたり。
(帰宅後、近所で整体60分でさらに調整済)
そして、明日には実家に帰省です。
寒いだろうなぁ。風邪ひかないように気をつけなきゃね。
宿泊ホテルに飾られた正月飾り
アルゼンチン旅行記はまだまだ続きますよ~
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なぜなら、きのうから今日にかけて人間ドックだったから。
こちら、ホテルのロビーではありません。メディカルセンターのロビーです。
高級感あふれるセンター内は、廊下は絨毯敷き、椅子は布張り。
セレブ感満載です。
初日の昼食は松花堂御膳。
朝ごはん抜きだったので、おいしく完食しましたことよ。
しかし、午後からも検査があったため検査着にスリッパのままで食事。なんだか場違いな感じ?
そして、自由時間となった午後は東京ミッドタウンへ。
言い忘れました。メディカルセンターは青山一丁目駅そば(赤坂)でした。
赤坂の裏通りを歩いていると、異国情緒を感じさせる建物が。カンボジア大使館です。
出かけるのが遅かったので、ミッドタウンのイルミネーションを見ることができました。
この冬、すごく寒さを感じるので、ユニクロでヒートテックのまとめ買い。
宿泊ドックだったので赤坂のホテル(と言っても、宿泊客の多くが外国人というお手頃な会館)に戻り、夕食。
これまた松花堂御膳。おまけにデザートにチョコレートケーキまでついてきた。
ドック用のメニューなので、カロリー計算されているはずなのだけど、どう考えてもカロリーオーバーだと思う。
これじゃ太っちゃうよ。
そうそう、初日の終わりにその時点での検査数値を見ながら医師との問診があったのだけど、「標準体重ピッタリ、素晴らしいですね」と褒められましたが全然うれしくない。それって一般的には太り気味ということですから。。
(今の私、まるで岸田劉生の「麗子像」なのです)
そして、二日目の今日は糖負荷試験のみだったので、採血の合間に待合コーナーでせっせと年賀状書き。無事投函。
昼前には検査終了。
ランチは洋食のコース。
グラスワインは追加注文です。
一年間頑張ってきた自分へのご褒美♪
年末の人間ドックってなんだかいい感じ。
少し早めに仕事を切りあげて、体のメンテナンスとともに、ゆったりとした時間を過ごしたり。
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