水の都 大垣市 [旅 東海]
JRで岐阜から大垣へ移動。
夕方、時間があったので大垣城の外堀だった水門川沿い2㎞あまりを2時間ほどかけて散策することにしました。
遊歩道「四季の路」東外側橋
大名行列が欄干に描かれた武者溜橋
八幡神社の脇の水辺の風景
境内には大垣の湧水がこんこんと
国歌に出てくる「さざれ石」揖斐郡の産
遊歩道には俳人、松尾芭蕉が詠んだ句碑が立てられ、「ミニ奥の細道」として芭蕉の足跡をたどることができます。
芭蕉は元禄2年(1689)三月下旬、江戸深川を起点に奥の細道の旅を始め、約5ヵ月後、大垣で「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」という句を詠んで旅を終えました。(初の句は「行く春や鳥啼き魚の目は泪」)
笠と杖を持っているのが芭蕉
大垣城の再建された天守閣
掘抜井戸発祥の地
大垣は「水の都」と呼ばれ、多くの家庭では自噴井戸があり、町のいたる所に水路があり清流が流れていたそうです。
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夕方、時間があったので大垣城の外堀だった水門川沿い2㎞あまりを2時間ほどかけて散策することにしました。
遊歩道「四季の路」東外側橋
大名行列が欄干に描かれた武者溜橋
八幡神社の脇の水辺の風景
境内には大垣の湧水がこんこんと
国歌に出てくる「さざれ石」揖斐郡の産
遊歩道には俳人、松尾芭蕉が詠んだ句碑が立てられ、「ミニ奥の細道」として芭蕉の足跡をたどることができます。
芭蕉は元禄2年(1689)三月下旬、江戸深川を起点に奥の細道の旅を始め、約5ヵ月後、大垣で「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」という句を詠んで旅を終えました。(初の句は「行く春や鳥啼き魚の目は泪」)
笠と杖を持っているのが芭蕉
大垣城の再建された天守閣
掘抜井戸発祥の地
大垣は「水の都」と呼ばれ、多くの家庭では自噴井戸があり、町のいたる所に水路があり清流が流れていたそうです。
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