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パリに咲いた 古伊万里の華 [アート&デザイン]

私が友の会会員になっている白金台東京都庭園美術館
現在、日本磁器ヨーロッパ輸出350周年記念『パリに咲いた 古伊万里の華』を開催中。

20091213 パリに咲いた古伊万里1.jpg
(色絵花鳥文蓋付大鉢、1720-50年代)

2009年はオランダ東インド会社が長崎からヨーロッパに向けて公式に磁器の輸出を開始してから350年目。
この企画展は、渡欧した古伊万里を収集してきた碓井文夫氏のコレクションを紹介しています。

20091213 パリに咲いた古伊万里2.jpg

第1章 欧州輸出の始まりと活況(寛文様式 1660-70年代)
有田磁器の輸出量が最も多かった時代。中国磁器を見本にしたもの、ヨーロッパ陶器の形に基づいたもの等、輸出用の磁器を作った。ほとんどは注文生産だったが、製造が追いつかず、国内消費用に作られたものが輸出されたことも。

第2章 好評を博した日本磁器の優美(延宝様式 1670-90年代)
乳白色の柿右衛門様式がヨーロッパで人気があった時代。1685年に江戸幕府が輸出を制限したため、ヨーロッパの王室は5個組みで注文し始めた。

第3章 宮殿を飾る絢爛豪華な大作(元禄様式 1690-1730年代)
赤と金を多用する金襴手の色絵が中心になり、一方で染付製品の輸出が減少。ヨーロッパ市場では、有田磁器に並んで中国の景徳鎮窯の磁器が出回るようになった。有田磁器を真似て作った景徳鎮窯の磁器はチャイニーズ・イマリとして知られている。

第4章 欧州輸出の衰退(享保様式 1730-50年代)
有田が景徳鎮との価格競争に敗れ、オランダ窯が衰退し、マイセンで磁器生産が拡大するなど、有田磁器の輸出は衰退した。最後の“華”が見られたのはウィーンでハプスブルク家のマリア・テレジアが支配していた頃。1757年に公式に輸出が終了して以来、個人的な輸出のみにとどまっている。

華やかな有田焼(古伊万里)の磁器がヨーロッパの王侯貴族の宮殿を飾っていたという事実。イギリスで訪れた宮殿の部屋の暖炉まわりや棚などいたるところに染付や色絵の大きな壺や瓶が置かれていたのを思い出しました。
あー、ヨーロッパにますます行きたくなってきたよ~

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まるち

また!旅行熱再発ですね(笑)
ところで、おもしろペットボトルは高速道路のサービスエリアで
買いました。
最近年末の忙しさに振り回されてスーパーはあまりいけないので
移動中の買い物ばかりです。
by まるち (2009-12-17 06:27) 

tacit_tacet

幕末以前の日欧の文化交流に興味があります。細川ガラシャをモデルとした音楽劇にハプスブルク家の女性たち感銘を受けたなど、日本人がまったく気付いていないところで、影響を与え合っていた事実を知るにつれ、歴史の不可解さと奥深さに思いを馳せております。
by tacit_tacet (2009-12-17 21:59) 

いっこさん

★まるちさん、そうなんです、旅行(異国の長旅)がした~い!モードです。
でも、日本にいるときは正月は家族と過ごすことにしているので次の長期休暇はいつ取ろうからなぁ、と今朝の通勤時間に手帳のカレンダーをながめていました。
おもしろペットボトル、コンビニをチェックしてみようっと。
by いっこさん (2009-12-17 22:22) 

いっこさん

★tacit_tacetさん、いつもnice!をありがとうございます。
ブログ、拝見しました。独特のアングルで風景をとらえていらっしゃいますよね。
by いっこさん (2009-12-17 22:23) 

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