小野竹喬展 [アート&デザイン]
北の丸公園の東京国立近代美術館で「生誕120年 小野竹喬展」を鑑賞してきました。
(奥の細道句抄絵「田一枚 植ゑて立ち去る 柳かな」1976年、京都国立近代美術館蔵)
小野竹喬(1889-1979)が描くのどかな風景画は淡く落ち着いた色彩で温かで優しく、見る者の心を穏やかにし和ませてくれます。
緑(山・樹木)、青(空・海)、茶(大地・動物)が多用され、自然のさりげない情景が描かれています。
季節の移ろい、一日のうちでも時間の流れを感じさせ、自然のもつ素朴な美しさ、さりげない情景を詩情豊かに表現します。
竹喬は岡山県生まれ。14才(1903年)で竹内栖鳳に入門。
彼の作風の変遷は、カミーユ・コローやポール・セザンヌなどの西洋絵画への関心から始まり、1921年からの渡欧で東洋画の「線」による表現へと転換、富岡鉄斎の南画への憧れから1939年からは大和絵風の表現へ。この1939年が転換期となり、戦後、簡潔な表現になり、さらに最晩年は墨彩画へとうつった。
第Ⅰ章 写実表現と日本画の問題
竹喬の画業前半期における画風の変遷をたどる(1903-38)
線描と淡彩による南画風の表現から鮮やかな大和絵風へ。
第Ⅱ章 自然と私との素直な対話
竹喬の画業後半期における画風の深化をさぐる(1939-79)
清澄な世界を確立。代表的なモチーフ、茜空をしばしば描く。
その他、素描、特集展示1「竹喬の渡欧」(32才の1921年10月に神戸を船で出港、シンガポール、スエズを経由してフランス・イタリア・スペイン・イギリスを訪れ、翌5月に帰国)、特集展示2「奥の細道句抄絵」(芭蕉の奥の細道の句意を絵画化)の展示あり。
【おまけ】
金曜の夜、北の丸公園では皇居ランナーがひっきりなしに走っていく姿が見られます。
皆さん、頑張りますねぇ。
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(奥の細道句抄絵「田一枚 植ゑて立ち去る 柳かな」1976年、京都国立近代美術館蔵)
小野竹喬(1889-1979)が描くのどかな風景画は淡く落ち着いた色彩で温かで優しく、見る者の心を穏やかにし和ませてくれます。
緑(山・樹木)、青(空・海)、茶(大地・動物)が多用され、自然のさりげない情景が描かれています。
季節の移ろい、一日のうちでも時間の流れを感じさせ、自然のもつ素朴な美しさ、さりげない情景を詩情豊かに表現します。
竹喬は岡山県生まれ。14才(1903年)で竹内栖鳳に入門。
彼の作風の変遷は、カミーユ・コローやポール・セザンヌなどの西洋絵画への関心から始まり、1921年からの渡欧で東洋画の「線」による表現へと転換、富岡鉄斎の南画への憧れから1939年からは大和絵風の表現へ。この1939年が転換期となり、戦後、簡潔な表現になり、さらに最晩年は墨彩画へとうつった。
第Ⅰ章 写実表現と日本画の問題
竹喬の画業前半期における画風の変遷をたどる(1903-38)
線描と淡彩による南画風の表現から鮮やかな大和絵風へ。
第Ⅱ章 自然と私との素直な対話
竹喬の画業後半期における画風の深化をさぐる(1939-79)
清澄な世界を確立。代表的なモチーフ、茜空をしばしば描く。
その他、素描、特集展示1「竹喬の渡欧」(32才の1921年10月に神戸を船で出港、シンガポール、スエズを経由してフランス・イタリア・スペイン・イギリスを訪れ、翌5月に帰国)、特集展示2「奥の細道句抄絵」(芭蕉の奥の細道の句意を絵画化)の展示あり。
【おまけ】
金曜の夜、北の丸公園では皇居ランナーがひっきりなしに走っていく姿が見られます。
皆さん、頑張りますねぇ。
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