京都 六波羅蜜寺 [旅 関西]
天暦5年(951)、疫病平癒のため醍醐天皇第二皇子の光勝空也上人により開創された西国第十七番札所霊場、真言宗寺院の六波羅蜜寺。
空也上人は天皇の皇子でありながら若くして出家。森羅万象に生命を感じ、ただ南無阿弥陀仏を称え、今日あることを喜び、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えたそうです。
前から気になっていた、この立像が見たかったのです。(鎌倉時代、運慶の四男康勝の作。重要文化財)
胸に金鼓、右手に鐘木、左手に鹿の角をつけた杖をつき、行脚しやすいように膝をあらわにした格好で、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承をあらわした彫刻です。
宝物館には空也上人立像のほかにも平清盛坐像や薬師如来坐像などの重要文化財に指定されている木造彫刻が十数点、安置されています。
本堂厨子には空也上人の自刻と伝えられる国宝の十一面観音立像が本尊として祀られていて、訪れた時は好運なことにちょうど御開帳の日にあたり拝むことができました。
また、都七福神の一、巳成金弁財天がまつられている所でもあります。
【おまけ(学習の記録)】
六波羅蜜とは(拝観券に書いてあった解説より)
布施 見返りを求めない応分の施しをさせていただくこと。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すこと。
持戒 道徳、法律等は人が作り、現在はますます複雑になっている。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒めることが肝要である。
忍辱 如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことができれば苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかる。
精進 不断の努力のこと。我々、人の生命には限りがある。ひとときも無駄にすることなく、日々誠心誠意尽くすことである。
禅定 冷静に第三者の立場で自分自身を見つめること。
智慧 我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけている。しかし、貪りや怒り、愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちである。
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空也上人は天皇の皇子でありながら若くして出家。森羅万象に生命を感じ、ただ南無阿弥陀仏を称え、今日あることを喜び、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えたそうです。
前から気になっていた、この立像が見たかったのです。(鎌倉時代、運慶の四男康勝の作。重要文化財)
胸に金鼓、右手に鐘木、左手に鹿の角をつけた杖をつき、行脚しやすいように膝をあらわにした格好で、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承をあらわした彫刻です。
宝物館には空也上人立像のほかにも平清盛坐像や薬師如来坐像などの重要文化財に指定されている木造彫刻が十数点、安置されています。
本堂厨子には空也上人の自刻と伝えられる国宝の十一面観音立像が本尊として祀られていて、訪れた時は好運なことにちょうど御開帳の日にあたり拝むことができました。
また、都七福神の一、巳成金弁財天がまつられている所でもあります。
【おまけ(学習の記録)】
六波羅蜜とは(拝観券に書いてあった解説より)
布施 見返りを求めない応分の施しをさせていただくこと。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すこと。
持戒 道徳、法律等は人が作り、現在はますます複雑になっている。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒めることが肝要である。
忍辱 如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことができれば苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかる。
精進 不断の努力のこと。我々、人の生命には限りがある。ひとときも無駄にすることなく、日々誠心誠意尽くすことである。
禅定 冷静に第三者の立場で自分自身を見つめること。
智慧 我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけている。しかし、貪りや怒り、愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちである。
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