マザーウォーター [シアター&シネマ]
観る映画を決めるときの物差しっていろいろありますよね。
テーマやストーリー、話題性、そして出演者や監督が決め手になることも。
今回、シネスイッチ銀座で観てきたのは『マザーウォーター』
京都のある川付近の町に住む女性四人(小林聡美、小泉今日子、市川実日子、もたいまさこ)と男性三人(加瀬亮、光石研、永山絢斗)の‘付かず離れず’のいい感じの交流が描かれていました。
舞台になっている川。小林が経営するウィスキーしか置いていないバーで使われる氷、小泉が経営するカフェでペーパーフィルターの挽き立てのコーヒー豆にそそがれるお湯、市川が一人で作る豆腐、もたいが水筒にくむ共同の湧水。どれも水が大切な役目を果たしています。
小林聡美、もたいまさこ、というキャスティングを見ると、きっと面白い映画に違いないと思ってしまうのですよね。
おまけに『かもめ食堂』『めがね』『プール』と同じプロジェクトによる作品だということで、どことなく空気感が似ているんです。時間がゆったり流れているというか。(『めがね』は見ていないから、いつか見てみたい)
そして、この映画でもフードスタイリストの飯島奈美さんが手がける食べ物のおいしそうなことと言ったら。(グラタン、だし巻き玉子、トーストサンドなど)
このシリーズ、まだ続くのかな。楽しみ。
【おまけ】
シネスイッチ銀座は和光の裏通りにあります。
これまで日曜を休業としていた和光が、最近、お店を開けることにしました。新しいお客さんを呼び込もうということのようです。(ちなみに、私、いつもウィンドーディスプレイの写真を撮るばかりで、いまだに店内に入ったことがありません)
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テーマやストーリー、話題性、そして出演者や監督が決め手になることも。
今回、シネスイッチ銀座で観てきたのは『マザーウォーター』
京都のある川付近の町に住む女性四人(小林聡美、小泉今日子、市川実日子、もたいまさこ)と男性三人(加瀬亮、光石研、永山絢斗)の‘付かず離れず’のいい感じの交流が描かれていました。
舞台になっている川。小林が経営するウィスキーしか置いていないバーで使われる氷、小泉が経営するカフェでペーパーフィルターの挽き立てのコーヒー豆にそそがれるお湯、市川が一人で作る豆腐、もたいが水筒にくむ共同の湧水。どれも水が大切な役目を果たしています。
小林聡美、もたいまさこ、というキャスティングを見ると、きっと面白い映画に違いないと思ってしまうのですよね。
おまけに『かもめ食堂』『めがね』『プール』と同じプロジェクトによる作品だということで、どことなく空気感が似ているんです。時間がゆったり流れているというか。(『めがね』は見ていないから、いつか見てみたい)
そして、この映画でもフードスタイリストの飯島奈美さんが手がける食べ物のおいしそうなことと言ったら。(グラタン、だし巻き玉子、トーストサンドなど)
このシリーズ、まだ続くのかな。楽しみ。
【おまけ】
シネスイッチ銀座は和光の裏通りにあります。
これまで日曜を休業としていた和光が、最近、お店を開けることにしました。新しいお客さんを呼び込もうということのようです。(ちなみに、私、いつもウィンドーディスプレイの写真を撮るばかりで、いまだに店内に入ったことがありません)
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三菱が夢見た美術館 [アート&デザイン]
丸の内でもう一つ訪れたのは、丸の内ブリックスクエア内にある三菱一号館美術館。
開館記念展<Ⅱ>「三菱が夢見た美術館 岩崎家と三菱ゆかりのコレクション」の最終日だったため。
岸田劉生「童女像(麗子花持てる)」1921年(大正10年)、個人蔵
会場構成は次のとおり。(展示パネルの説明文から引用も)
序章 「丸の内美術館」計画:三菱により丸の内の近代化と文化
土佐藩の海運業を任された岩崎彌太郎(1835-1885)が明治維新後に三菱を興しました。
1890年(明治23年)、三菱2代社長彌之助の時代、三菱が丸の内の陸軍用地を政府から128万円で買い取り、堅牢な様式建築を建てて事務所街を形成しようという計画がありました。その設計にかかわったのがイギリス人建築家、ジョサイア・コンドル(1852-1920。旧岩崎邸や旧古河庭園洋館の設計にも携わった人物です。
第一章 三菱のコレクション:日本近代美術
岩崎家に限らず、明治大正期の富裕な実業家たちは骨董や茶道具に興味を抱くことが多く、同時代の美術や文化を支援する例は珍しいことでした。
三菱は明治20年代から丸の内一帯で美術館設立を視野に入れた西洋的な街づくりを計画していました。
展示作品は、黒田清輝、藤島武二、梅原龍三郎、安井會太郎、坂本繁二郎ら、日本を代表する名だたる画家たちのもの。
第二章 岩崎家と文化:静嘉堂
彌之助(1851-1908)と小彌太(1879-1945、4代社長)の父子が明治初期から昭和前期にかけて収集した古書籍、美術品を保存、公開しているのが世田谷区にある静嘉堂。
第三章 岩崎家と文化:東洋文庫
国宝、重要文化財を間近に見られました。
第四章 人の中へ街の中へ:日本郵船と麒麟麦酒のデザイン
三菱系企業のレトロな宣伝ポスターを展示。
第五章 三菱のコレクション:西洋近代美術
終章 世紀を超えて:三菱が夢見た美術館
三菱の「大番頭」と呼ばれた荘田平五郎は、丸の内に美術館を作る計画を立てていた。丸の内の開発にあたった彌之助の右腕だった荘田にとって、丸の内のあるべき姿は事業と文化が共存する街であった。
それから110年が経ち、2009年、三菱一号館が復元され、2010年4月に三菱一号館美術館となり世紀を超えて、その夢は実現したのです。
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開館記念展<Ⅱ>「三菱が夢見た美術館 岩崎家と三菱ゆかりのコレクション」の最終日だったため。
岸田劉生「童女像(麗子花持てる)」1921年(大正10年)、個人蔵
会場構成は次のとおり。(展示パネルの説明文から引用も)
序章 「丸の内美術館」計画:三菱により丸の内の近代化と文化
土佐藩の海運業を任された岩崎彌太郎(1835-1885)が明治維新後に三菱を興しました。
1890年(明治23年)、三菱2代社長彌之助の時代、三菱が丸の内の陸軍用地を政府から128万円で買い取り、堅牢な様式建築を建てて事務所街を形成しようという計画がありました。その設計にかかわったのがイギリス人建築家、ジョサイア・コンドル(1852-1920。旧岩崎邸や旧古河庭園洋館の設計にも携わった人物です。
第一章 三菱のコレクション:日本近代美術
岩崎家に限らず、明治大正期の富裕な実業家たちは骨董や茶道具に興味を抱くことが多く、同時代の美術や文化を支援する例は珍しいことでした。
三菱は明治20年代から丸の内一帯で美術館設立を視野に入れた西洋的な街づくりを計画していました。
展示作品は、黒田清輝、藤島武二、梅原龍三郎、安井會太郎、坂本繁二郎ら、日本を代表する名だたる画家たちのもの。
第二章 岩崎家と文化:静嘉堂
彌之助(1851-1908)と小彌太(1879-1945、4代社長)の父子が明治初期から昭和前期にかけて収集した古書籍、美術品を保存、公開しているのが世田谷区にある静嘉堂。
第三章 岩崎家と文化:東洋文庫
国宝、重要文化財を間近に見られました。
第四章 人の中へ街の中へ:日本郵船と麒麟麦酒のデザイン
三菱系企業のレトロな宣伝ポスターを展示。
第五章 三菱のコレクション:西洋近代美術
終章 世紀を超えて:三菱が夢見た美術館
三菱の「大番頭」と呼ばれた荘田平五郎は、丸の内に美術館を作る計画を立てていた。丸の内の開発にあたった彌之助の右腕だった荘田にとって、丸の内のあるべき姿は事業と文化が共存する街であった。
それから110年が経ち、2009年、三菱一号館が復元され、2010年4月に三菱一号館美術館となり世紀を超えて、その夢は実現したのです。
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仙厓 禅とユーモア [アート&デザイン]
丸の内の出光美術館で開催していた「仙厓 禅とユーモア」を観てきました。
布袋画賛(部分)、江戸時代
江戸時代に博多聖福寺の住職として活躍した禅僧、仙厓(せんがい、1750-1837)の生誕260年を記念した、当館の仙厓コレクションの展覧会です。
仙厓は禅画を通して禅の教えを広めようとしましたが、決して説教じみたことはなく、明るく機知に富み、あたたかみにあふれているのが特徴です。
「厓画無法」と呼ばれる、決まった法がない絵はおおらかで、自由奔放、力みなく描かれ、ユーモラスで見ていると思わず笑みがこぼれます。だから、私は大好き。
会場構成は次のとおり。(会場パネルの説明文からの引用も)
第一章 禅僧仙厓の生涯-仙厓略伝
第二章 画賛と墨跡にみる禅の教え-禅画と一行書
気に入った作品をご紹介。
●「○△□」 □は修業前、△は修業中、○は悟りを開いた姿を表す。
●二字書「無事」 無事是貴人。一切の妄念や欲望から自由な者こそが尊い。また、「事が無き」ことこそ幸せである。
●一行書「冨莫大於知足福莫盛於無禍」 分相応の充足感に気づき、何事もないことに幸せを感じ、欲に惑わされない生活を送ることがいかに素晴らしいかを説いています。
(最近の私は神仏にお参りする時、何かを期待してお願いするというよりも、何事もなく毎日を送れますようにと祈ることのほうが多いです)
名誉、地位に目もくれず、シンプルに素朴に生きた仙厓自身の生き方です。
●一行書「作善降之百祥」 「悪きことをなさず良いことをせよ」
第三章 布袋十二態-布袋の姿をかりた仙厓の思い
布袋とは人々の喜捨は何でも喜んでもらい受け、余ったものは頭陀袋の中にしまい込む中国の僧、契此(かいし)。常に感謝の気持ちを忘れない人物でもあり、仙厓は自分の姿を布袋に写しこんだのでしょう。
代表的な作品は「指月布袋画賛」
第四章 仙厓と愉快な仲間たち-ご隠居様は人気者
あまりにも次々と書画を求めて紙を持ってくる人が絶たないので、絶筆碑を立てたほどですが、一方でニコニコと求めに応じて書いたとか。根っからのお人よしのようですね。
第五章 画賛にあらわされた仙厓の心-厳しさをユーモアにつつんで
仙厓は、禅の高邁な教えばかりでなく、日々の生活にも応用できる多くの教訓を含む画賛を書きました。画の魅力で人をひきつけ、興味がわいたところで賛文を読み解いて教えを伝えるという手法をとったのです。
「双鶴画賛」に書かれた賛文は「鶴ハ千年、亀ハ萬年、我れハ天年」
天から授かった命。限りがある人生ではあっても、それを存分に生き抜くことこそが大事である、という意。
禅の教えは昔も今も不変ですね。
【おまけ】
出光美術館は帝国劇場も入っている帝劇ビルの9階にあります。
地下から階段を上がり外に出ると、ビルの外壁に大きな翁の面が掛けられています。
これは旧帝国劇場の定紋で、扇子と翁の面を組み合わせたもの。運営会社の社章にもなっていたそうです。
旧帝劇の舞台真上に飾られていましたが、昭和39年(1964年)の取り壊しの際に取り外され、記念として今の場所に設置されたとのこと。
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布袋画賛(部分)、江戸時代
江戸時代に博多聖福寺の住職として活躍した禅僧、仙厓(せんがい、1750-1837)の生誕260年を記念した、当館の仙厓コレクションの展覧会です。
仙厓は禅画を通して禅の教えを広めようとしましたが、決して説教じみたことはなく、明るく機知に富み、あたたかみにあふれているのが特徴です。
「厓画無法」と呼ばれる、決まった法がない絵はおおらかで、自由奔放、力みなく描かれ、ユーモラスで見ていると思わず笑みがこぼれます。だから、私は大好き。
会場構成は次のとおり。(会場パネルの説明文からの引用も)
第一章 禅僧仙厓の生涯-仙厓略伝
第二章 画賛と墨跡にみる禅の教え-禅画と一行書
気に入った作品をご紹介。
●「○△□」 □は修業前、△は修業中、○は悟りを開いた姿を表す。
●二字書「無事」 無事是貴人。一切の妄念や欲望から自由な者こそが尊い。また、「事が無き」ことこそ幸せである。
●一行書「冨莫大於知足福莫盛於無禍」 分相応の充足感に気づき、何事もないことに幸せを感じ、欲に惑わされない生活を送ることがいかに素晴らしいかを説いています。
(最近の私は神仏にお参りする時、何かを期待してお願いするというよりも、何事もなく毎日を送れますようにと祈ることのほうが多いです)
名誉、地位に目もくれず、シンプルに素朴に生きた仙厓自身の生き方です。
●一行書「作善降之百祥」 「悪きことをなさず良いことをせよ」
第三章 布袋十二態-布袋の姿をかりた仙厓の思い
布袋とは人々の喜捨は何でも喜んでもらい受け、余ったものは頭陀袋の中にしまい込む中国の僧、契此(かいし)。常に感謝の気持ちを忘れない人物でもあり、仙厓は自分の姿を布袋に写しこんだのでしょう。
代表的な作品は「指月布袋画賛」
第四章 仙厓と愉快な仲間たち-ご隠居様は人気者
あまりにも次々と書画を求めて紙を持ってくる人が絶たないので、絶筆碑を立てたほどですが、一方でニコニコと求めに応じて書いたとか。根っからのお人よしのようですね。
第五章 画賛にあらわされた仙厓の心-厳しさをユーモアにつつんで
仙厓は、禅の高邁な教えばかりでなく、日々の生活にも応用できる多くの教訓を含む画賛を書きました。画の魅力で人をひきつけ、興味がわいたところで賛文を読み解いて教えを伝えるという手法をとったのです。
「双鶴画賛」に書かれた賛文は「鶴ハ千年、亀ハ萬年、我れハ天年」
天から授かった命。限りがある人生ではあっても、それを存分に生き抜くことこそが大事である、という意。
禅の教えは昔も今も不変ですね。
【おまけ】
出光美術館は帝国劇場も入っている帝劇ビルの9階にあります。
地下から階段を上がり外に出ると、ビルの外壁に大きな翁の面が掛けられています。
これは旧帝国劇場の定紋で、扇子と翁の面を組み合わせたもの。運営会社の社章にもなっていたそうです。
旧帝劇の舞台真上に飾られていましたが、昭和39年(1964年)の取り壊しの際に取り外され、記念として今の場所に設置されたとのこと。
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KitKat チーズ&オトナの甘さ [定点観測 KitKat & more]
瀬戸内国際芸術祭2010 直島 [アート&デザイン]
では、直島でのアート散策の全貌を。
国際芸術祭の舞台となっていた各島と高松の玄関口となる港に設置してある案内看板はジョゼ・デ・ギマランイスのオブジェ作品「フラワー/ハッピースネーク」
では、直島で見たアート作品を順に。
●草間彌生「赤かぼちゃ」
●大竹伸朗/graf「直島銭湯I湯」
町営バスとベネッセのシャトルバスを乗り継いで宮浦から本村経由でベネッセハウス周辺へ。
●2010年6月にオープンしたばかりの李禹煥美術館
リー・ウーファンの絵画と彫刻のみを展示した美術館。地中美術館と同様、安藤忠雄さんの設計によるコンクリートの建物は、前庭のアート作品と調和して哲学的な雰囲気を醸し出しています。
●小沢剛「スラグブッダ88-豊島の産業廃棄物処理後のスラグで作られた88体の仏」
●ベネッセハウスミュージアムで、久しぶりに柳幸典の「バンザイコーナー」(ウルトラマンの何百体ものフィギュアがバンザイしている)に元気をもらい、杉本博司の「タイム・エクスポーズド」(世界各地の海の水平線を写したモノクロ写真)を見て‘時の移ろい’に内省。
●高台にあるミュージアムからベネッセハウス・ビーチに下り、草間彌生の黄色い「南瓜」と再会
翌日の朝。
●本村港を見下ろせる高原城址がある高台から、家プロジェクト(土地固有の家屋を使い、アーティストと建築家がコラボレーション)の一つ、川俣正の向島プロジェクト「島から島を作る」を見て、少し歩いた譲王神社の杉本博司「アプロプリエイト プロポーション」も。
続いて、ベネッセハウス・パークに向かいました。
●芝生広場にニキ・ド・サンファールの原色の彫刻「腰掛」「猫」「象」「らくだ」「会話」、カレル・アペルの「かえると猫」、そしてダン・グラハムの「平面によって2分割された円筒」という作品に私も入りこんでみました。
●ベネッセハウス・パークとテラスレストランをつなぐ通路の壁がウェッジウッドのジャスパーのような優しいブルーの塗料で塗られ、一面に1万5000個ものガラスキューブが散りばめられています。ガラスに覗き込む自分や風景が映ります。
テレジータ・フェルナンデス「ブラインド・ブルー・ランドスケープ」
作者は、太陽の光でパークの前の海面がキラキラときらめく様子を表現したとのこと。
●10時から杉本博司の作品鑑賞ツアーに参加。「光の棺」「松林図」「苔の観念」や「建築シリーズ」の写真が展示されています。
●本村地区に戻って家プロジェクトを見学。
約100年前に建てられた民家、石橋家の母屋と蔵に設置された千住博のアート作品「空の庭」「ザ・フォールズ」(残念ながら内部は写真撮影不可)
かつて碁会所として使われていた場所に茶室のような小さな空間を建設。畳の上に木彫の紅白の椿を散りばめた須田悦弘の「椿」日本画家、速水御舟の「名樹散椿」に着想を得たそうです。(こちらも撮影不可)
もう一つは元歯科医院兼住居だった建物全体を作品にした大竹伸朗「舌上夢」「ボッコン覗」
半日ずつ、一泊二日の直島滞在を終え、昼過ぎには宮浦港から次の目的地、小豆島へ向かいます。
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国際芸術祭の舞台となっていた各島と高松の玄関口となる港に設置してある案内看板はジョゼ・デ・ギマランイスのオブジェ作品「フラワー/ハッピースネーク」
では、直島で見たアート作品を順に。
●草間彌生「赤かぼちゃ」
●大竹伸朗/graf「直島銭湯I湯」
町営バスとベネッセのシャトルバスを乗り継いで宮浦から本村経由でベネッセハウス周辺へ。
●2010年6月にオープンしたばかりの李禹煥美術館
リー・ウーファンの絵画と彫刻のみを展示した美術館。地中美術館と同様、安藤忠雄さんの設計によるコンクリートの建物は、前庭のアート作品と調和して哲学的な雰囲気を醸し出しています。
●小沢剛「スラグブッダ88-豊島の産業廃棄物処理後のスラグで作られた88体の仏」
●ベネッセハウスミュージアムで、久しぶりに柳幸典の「バンザイコーナー」(ウルトラマンの何百体ものフィギュアがバンザイしている)に元気をもらい、杉本博司の「タイム・エクスポーズド」(世界各地の海の水平線を写したモノクロ写真)を見て‘時の移ろい’に内省。
●高台にあるミュージアムからベネッセハウス・ビーチに下り、草間彌生の黄色い「南瓜」と再会
翌日の朝。
●本村港を見下ろせる高原城址がある高台から、家プロジェクト(土地固有の家屋を使い、アーティストと建築家がコラボレーション)の一つ、川俣正の向島プロジェクト「島から島を作る」を見て、少し歩いた譲王神社の杉本博司「アプロプリエイト プロポーション」も。
続いて、ベネッセハウス・パークに向かいました。
●芝生広場にニキ・ド・サンファールの原色の彫刻「腰掛」「猫」「象」「らくだ」「会話」、カレル・アペルの「かえると猫」、そしてダン・グラハムの「平面によって2分割された円筒」という作品に私も入りこんでみました。
●ベネッセハウス・パークとテラスレストランをつなぐ通路の壁がウェッジウッドのジャスパーのような優しいブルーの塗料で塗られ、一面に1万5000個ものガラスキューブが散りばめられています。ガラスに覗き込む自分や風景が映ります。
テレジータ・フェルナンデス「ブラインド・ブルー・ランドスケープ」
作者は、太陽の光でパークの前の海面がキラキラときらめく様子を表現したとのこと。
●10時から杉本博司の作品鑑賞ツアーに参加。「光の棺」「松林図」「苔の観念」や「建築シリーズ」の写真が展示されています。
●本村地区に戻って家プロジェクトを見学。
約100年前に建てられた民家、石橋家の母屋と蔵に設置された千住博のアート作品「空の庭」「ザ・フォールズ」(残念ながら内部は写真撮影不可)
かつて碁会所として使われていた場所に茶室のような小さな空間を建設。畳の上に木彫の紅白の椿を散りばめた須田悦弘の「椿」日本画家、速水御舟の「名樹散椿」に着想を得たそうです。(こちらも撮影不可)
もう一つは元歯科医院兼住居だった建物全体を作品にした大竹伸朗「舌上夢」「ボッコン覗」
半日ずつ、一泊二日の直島滞在を終え、昼過ぎには宮浦港から次の目的地、小豆島へ向かいます。
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瀬戸内島巡り 直島 二日目 [旅 四国]
瀬戸内島巡り 直島 一日目 [旅 四国]
9月23日の午後、男木島から高速船で20分、直島に到着。
直島は福武書店(ベネッセグループ)が二十年ほど前から現代アートによる地域づくりにかかわっていて、すっかりアートが島の風景にも住民の人たちにも根付いている印象があります。
宮浦港の波止場の端にある草間彌生「赤かぼちゃ」
6年くらい前に初めて島を訪れた時にはありませんでした。その時からあるのは黄色いかぼちゃ
今回は前回の訪問以降に新しく設置されたアート作品を中心に見てまわることにしました。(だから、地中美術館はパス)
まずは宮浦港から徒歩数分のところにある大竹伸朗/grafの「直島銭湯[I湯]」
入湯料500円(島民は300円)で普通に入浴できます。もちろん私もオリジナルタオルを番台で買って入りました。
外観も奇抜で装飾的ですが、建物の内部もかなりアーティスティック。男湯と女湯をしきる壁の上には巨大な象の剥製、浴室の壁や湯船の底のタイル、脱衣所の洗面台やトイレの便器などにもユニークな絵が描かれています。
ベネッセハウスミュージアムのテラスに出てみると、白いテーブルの上に雨上がりの水滴が残っていて、これもまたアートのよう。
屋上に出てみると日没に近づいている空が美しい。
宿泊した本村地区の民宿の玄関には空き缶を使ったアート作品がさりげなく置かれていました。
民宿は素泊まりだったため夕食は外食。紹介してもらったのは本村地区、家プロジェクトの南寺から程近い、古民家を利用した隠れ家的なカフェサロン中奥(なかおく)。
細い拍子木切りした大根を直島海苔で巻いて海苔ドレッシングか藻塩をつけて食す。
奥の魚は地元でゲタと呼ばれる舌平目の唐揚げ)
直島タコのソテー。お酒が進みます。
カウンターで隣り合わせになった若い女性とおしゃべりしながらの夕食を終えての帰り道。南寺そばの公衆トイレ。
直島特有の焼板を外壁に使った円筒型です。なんと安藤忠雄さんの設計だとか。
十六夜の月が出ています。
直島編、つづく~
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直島は福武書店(ベネッセグループ)が二十年ほど前から現代アートによる地域づくりにかかわっていて、すっかりアートが島の風景にも住民の人たちにも根付いている印象があります。
宮浦港の波止場の端にある草間彌生「赤かぼちゃ」
6年くらい前に初めて島を訪れた時にはありませんでした。その時からあるのは黄色いかぼちゃ
今回は前回の訪問以降に新しく設置されたアート作品を中心に見てまわることにしました。(だから、地中美術館はパス)
まずは宮浦港から徒歩数分のところにある大竹伸朗/grafの「直島銭湯[I湯]」
入湯料500円(島民は300円)で普通に入浴できます。もちろん私もオリジナルタオルを番台で買って入りました。
外観も奇抜で装飾的ですが、建物の内部もかなりアーティスティック。男湯と女湯をしきる壁の上には巨大な象の剥製、浴室の壁や湯船の底のタイル、脱衣所の洗面台やトイレの便器などにもユニークな絵が描かれています。
ベネッセハウスミュージアムのテラスに出てみると、白いテーブルの上に雨上がりの水滴が残っていて、これもまたアートのよう。
屋上に出てみると日没に近づいている空が美しい。
宿泊した本村地区の民宿の玄関には空き缶を使ったアート作品がさりげなく置かれていました。
民宿は素泊まりだったため夕食は外食。紹介してもらったのは本村地区、家プロジェクトの南寺から程近い、古民家を利用した隠れ家的なカフェサロン中奥(なかおく)。
細い拍子木切りした大根を直島海苔で巻いて海苔ドレッシングか藻塩をつけて食す。
奥の魚は地元でゲタと呼ばれる舌平目の唐揚げ)
直島タコのソテー。お酒が進みます。
カウンターで隣り合わせになった若い女性とおしゃべりしながらの夕食を終えての帰り道。南寺そばの公衆トイレ。
直島特有の焼板を外壁に使った円筒型です。なんと安藤忠雄さんの設計だとか。
十六夜の月が出ています。
直島編、つづく~
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