パリに咲いた 古伊万里の華 [アート&デザイン]
私が友の会会員になっている白金台の東京都庭園美術館
現在、日本磁器ヨーロッパ輸出350周年記念『パリに咲いた 古伊万里の華』を開催中。
(色絵花鳥文蓋付大鉢、1720-50年代)
2009年はオランダ東インド会社が長崎からヨーロッパに向けて公式に磁器の輸出を開始してから350年目。
この企画展は、渡欧した古伊万里を収集してきた碓井文夫氏のコレクションを紹介しています。
第1章 欧州輸出の始まりと活況(寛文様式 1660-70年代)
有田磁器の輸出量が最も多かった時代。中国磁器を見本にしたもの、ヨーロッパ陶器の形に基づいたもの等、輸出用の磁器を作った。ほとんどは注文生産だったが、製造が追いつかず、国内消費用に作られたものが輸出されたことも。
第2章 好評を博した日本磁器の優美(延宝様式 1670-90年代)
乳白色の柿右衛門様式がヨーロッパで人気があった時代。1685年に江戸幕府が輸出を制限したため、ヨーロッパの王室は5個組みで注文し始めた。
第3章 宮殿を飾る絢爛豪華な大作(元禄様式 1690-1730年代)
赤と金を多用する金襴手の色絵が中心になり、一方で染付製品の輸出が減少。ヨーロッパ市場では、有田磁器に並んで中国の景徳鎮窯の磁器が出回るようになった。有田磁器を真似て作った景徳鎮窯の磁器はチャイニーズ・イマリとして知られている。
第4章 欧州輸出の衰退(享保様式 1730-50年代)
有田が景徳鎮との価格競争に敗れ、オランダ窯が衰退し、マイセンで磁器生産が拡大するなど、有田磁器の輸出は衰退した。最後の“華”が見られたのはウィーンでハプスブルク家のマリア・テレジアが支配していた頃。1757年に公式に輸出が終了して以来、個人的な輸出のみにとどまっている。
華やかな有田焼(古伊万里)の磁器がヨーロッパの王侯貴族の宮殿を飾っていたという事実。イギリスで訪れた宮殿の部屋の暖炉まわりや棚などいたるところに染付や色絵の大きな壺や瓶が置かれていたのを思い出しました。
あー、ヨーロッパにますます行きたくなってきたよ~
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(色絵花鳥文蓋付大鉢、1720-50年代)
2009年はオランダ東インド会社が長崎からヨーロッパに向けて公式に磁器の輸出を開始してから350年目。
この企画展は、渡欧した古伊万里を収集してきた碓井文夫氏のコレクションを紹介しています。
第1章 欧州輸出の始まりと活況(寛文様式 1660-70年代)
有田磁器の輸出量が最も多かった時代。中国磁器を見本にしたもの、ヨーロッパ陶器の形に基づいたもの等、輸出用の磁器を作った。ほとんどは注文生産だったが、製造が追いつかず、国内消費用に作られたものが輸出されたことも。
第2章 好評を博した日本磁器の優美(延宝様式 1670-90年代)
乳白色の柿右衛門様式がヨーロッパで人気があった時代。1685年に江戸幕府が輸出を制限したため、ヨーロッパの王室は5個組みで注文し始めた。
第3章 宮殿を飾る絢爛豪華な大作(元禄様式 1690-1730年代)
赤と金を多用する金襴手の色絵が中心になり、一方で染付製品の輸出が減少。ヨーロッパ市場では、有田磁器に並んで中国の景徳鎮窯の磁器が出回るようになった。有田磁器を真似て作った景徳鎮窯の磁器はチャイニーズ・イマリとして知られている。
第4章 欧州輸出の衰退(享保様式 1730-50年代)
有田が景徳鎮との価格競争に敗れ、オランダ窯が衰退し、マイセンで磁器生産が拡大するなど、有田磁器の輸出は衰退した。最後の“華”が見られたのはウィーンでハプスブルク家のマリア・テレジアが支配していた頃。1757年に公式に輸出が終了して以来、個人的な輸出のみにとどまっている。
華やかな有田焼(古伊万里)の磁器がヨーロッパの王侯貴族の宮殿を飾っていたという事実。イギリスで訪れた宮殿の部屋の暖炉まわりや棚などいたるところに染付や色絵の大きな壺や瓶が置かれていたのを思い出しました。
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国立科学博物館附属 自然教育園 [東京 お出かけ]
私が白金を住む場所に決めた理由はいくつかありますが、徒歩圏内に緑(自然)がたくさんあるところ、というのも重要な条件の一つです。
そして、その緑にあふれている場所が白金台の国立科学博物館附属 自然教育園
今から4~500年前の豪族の館に始まり、高松藩主松平頼重の下屋敷(江戸時代)、陸・海軍の火薬庫(明治時代)、白金御料地(大正時代)と変遷をかさねたところです。
1949年に天然記念物及び史跡に指定され、一般に公開されるようになりました。(入園料は一般300円)
入口は目黒通りに面し、広い森の奥には首都高速がすぐそばを通っていますが、中に入ると鳥の鳴き声もする別世界。
路傍植物園には真っ赤なモミジが鮮やかです。
足元のクマザサ。冬になると葉の縁が白く枯れるさまを「くまどる」というためクマザサと呼ばれたそうです。歌舞伎役者の隈取りと同じね。なるほど。
できるだけ人間の手を入れず、自然な状態にしているそうで、それがかえって山里に来たかのように落ち着きます。
いもりの池
落ち葉がぎっしりの遊歩道。
都会の真ん中にいるのを忘れてしまうほど静か。ごくまれに人とすれ違うだけで自分ひとり。
武蔵野植物園では侘びの風情のアジサイ。
ススキ、ヨシ、ヒメガマ、実の生ったマユミなどが見られる水生植物園を歩いていると、夕暮れ間近でカラスがうるさく啼きながら空を舞っていました。
白金台の初冬のひとコマ。
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そして、その緑にあふれている場所が白金台の国立科学博物館附属 自然教育園
今から4~500年前の豪族の館に始まり、高松藩主松平頼重の下屋敷(江戸時代)、陸・海軍の火薬庫(明治時代)、白金御料地(大正時代)と変遷をかさねたところです。
1949年に天然記念物及び史跡に指定され、一般に公開されるようになりました。(入園料は一般300円)
入口は目黒通りに面し、広い森の奥には首都高速がすぐそばを通っていますが、中に入ると鳥の鳴き声もする別世界。
路傍植物園には真っ赤なモミジが鮮やかです。
足元のクマザサ。冬になると葉の縁が白く枯れるさまを「くまどる」というためクマザサと呼ばれたそうです。歌舞伎役者の隈取りと同じね。なるほど。
できるだけ人間の手を入れず、自然な状態にしているそうで、それがかえって山里に来たかのように落ち着きます。
いもりの池
落ち葉がぎっしりの遊歩道。
都会の真ん中にいるのを忘れてしまうほど静か。ごくまれに人とすれ違うだけで自分ひとり。
武蔵野植物園では侘びの風情のアジサイ。
ススキ、ヨシ、ヒメガマ、実の生ったマユミなどが見られる水生植物園を歩いていると、夕暮れ間近でカラスがうるさく啼きながら空を舞っていました。
白金台の初冬のひとコマ。
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