両国国技館 大相撲一月場所 [東京 お出かけ]
両国と言えば国技館。しかも一月は大相撲の場所。
もちろん、近くに行って初場所の雰囲気を味わってきました。
ずらりと並んだ幟旗。櫓には番付が寄せ文字で書かれた看板。
お昼前、場所入りする若手の力士の姿を見かけました。着物が春色。(追いかけながら撮影したのでブレブレ。。)
両国駅にはKing of Sumoという石の彫刻作品が展示されていました。
【おまけ】
両国からだと見えるかな?と周りを見渡してみましたが見えませんでした。
何が?
墨田区で建設中の東京スカイツリー(2012年から稼動予定のテレビ電波塔)
向こうの空に太い煙突のように突き出ているのが最近急に姿を現してきたスカイツリー。
会社が入っているビルの41階から撮影。
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もちろん、近くに行って初場所の雰囲気を味わってきました。
ずらりと並んだ幟旗。櫓には番付が寄せ文字で書かれた看板。
お昼前、場所入りする若手の力士の姿を見かけました。着物が春色。(追いかけながら撮影したのでブレブレ。。)
両国駅にはKing of Sumoという石の彫刻作品が展示されていました。
【おまけ】
両国からだと見えるかな?と周りを見渡してみましたが見えませんでした。
何が?
墨田区で建設中の東京スカイツリー(2012年から稼動予定のテレビ電波塔)
向こうの空に太い煙突のように突き出ているのが最近急に姿を現してきたスカイツリー。
会社が入っているビルの41階から撮影。
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いけばな ~歴史を彩る日本の美~ [アート&デザイン]
自然界にカラフルな花が少なくなる冬の季節。アートの世界が補ってくれます。
先週末まで両国の東京都江戸東京博物館で開催されていた特別展「いけばな ~歴史を彩る日本の美~」を鑑賞してきました。
自然の草花や樹木を素材にした日本の伝統的な造形芸術「いけばな」の歴史や文化的背景が花伝書、立花図、絵巻、屏風などから紹介されていました。
会場構成は次のとおり。(説明パネルから引用)
プロローグ いけばなの源流
神仏への供花(くげ)の形式を源流とする「いけばな」
花や樹木そのものに霊性を感じ、花を特別なものとしてとらえてきた日本人の精神性が見られます。
第1章 いけばなの成立
15世紀、室町時代に京都で発生し、16世紀に一つの芸術として確立。15世紀後半から、飾りの一部であった花が次第に独立したいけばな作品として鑑賞の対象となっていった。
茶の湯文化の流行・発展に伴い、お茶・お花・お香が栄えた時代。
第2章 豪華になるいけばな
戦国の世が治まり、豊臣秀吉による天下統一を経て江戸幕府が成立した16~17世紀。武家屋敷で儀礼の場の飾りとして「立花」が採り入れられた。大書院の空間を飾るため、いけばなは大きく豪華になった。
「立花図」はいけばなの完成形を図で表した手本、テキストでもあり、記された花材名で季節感を感じ、生けた年月日から行事との関連性を読みとることもできます。
第3章 流派の誕生といけばな大流行
公家や武家の間に広まった「立花」の流行は、元禄期(1688-1704)には富裕な町人層にまで及んだ。いけばなは成人男子の学んでおくべきたしなみとされた。江戸中期になると、複雑な立花よりも手軽に生けられる「抛入花(なげいればな)」が好まれるようになり、一般住宅の床の間を飾る格調高く気品に満ちた「生花」様式が生まれた。
この頃から生花諸流派が次々創始され、家元制度も確立された。
いけばなの流行は浮世絵の世界にも影響。多くの絵師がいけばなを題材にした画を描きました。
江戸後期には男のたしなみから女のたしなみ(習い事)になった。
第4章 はなの器
いけばなの形が成立するまでは、むしろ花器そのものが賞玩の対象となり、高価で希少価値のある輸入品の銅器や青磁など、唐物の道具が珍重された。
花材選びはもちろん、器との取り合わせも大切。花と器の調和、さらには掛軸、屏風などとの調和も求められる。
エピローグ いけばなの近現代と広がり
明治維新により、いけばなの大きな支持層(パトロン)であった武家や商家が没落し、いけばなも一時衰退。しかし、西欧の花材や技法を導入したいけばなが創出され、女子の情操教育にも採り入れられたことから再び勢いを取り戻す。
生活様式の変化から盛花など住宅の応接間を飾るのに適した自由花の発展をもたらした。
大正期には雑誌・テレビで取り上げられ、さらに参加者層を獲得。
第二次世界大戦以前から活動の見られた「前衛いけばな」の動きは、新しい素材や理念をとりいれ、いけばなの領域を広げた。(草月流、小原流、未生流など)
玄関ロビーには各流派によるいけばな作品の展示も行われていました。
(草月流、古流松藤会、宏道流、池坊、龍生派、一葉式いけ花、小原流、そして最終週は清風瓶華↓)
【おまけ】
会場の江戸東京博物館は隣の国技館に似せた外観。
ロビーには大きな招福熊手。まだ正月ですものね。
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先週末まで両国の東京都江戸東京博物館で開催されていた特別展「いけばな ~歴史を彩る日本の美~」を鑑賞してきました。
自然の草花や樹木を素材にした日本の伝統的な造形芸術「いけばな」の歴史や文化的背景が花伝書、立花図、絵巻、屏風などから紹介されていました。
会場構成は次のとおり。(説明パネルから引用)
プロローグ いけばなの源流
神仏への供花(くげ)の形式を源流とする「いけばな」
花や樹木そのものに霊性を感じ、花を特別なものとしてとらえてきた日本人の精神性が見られます。
第1章 いけばなの成立
15世紀、室町時代に京都で発生し、16世紀に一つの芸術として確立。15世紀後半から、飾りの一部であった花が次第に独立したいけばな作品として鑑賞の対象となっていった。
茶の湯文化の流行・発展に伴い、お茶・お花・お香が栄えた時代。
第2章 豪華になるいけばな
戦国の世が治まり、豊臣秀吉による天下統一を経て江戸幕府が成立した16~17世紀。武家屋敷で儀礼の場の飾りとして「立花」が採り入れられた。大書院の空間を飾るため、いけばなは大きく豪華になった。
「立花図」はいけばなの完成形を図で表した手本、テキストでもあり、記された花材名で季節感を感じ、生けた年月日から行事との関連性を読みとることもできます。
第3章 流派の誕生といけばな大流行
公家や武家の間に広まった「立花」の流行は、元禄期(1688-1704)には富裕な町人層にまで及んだ。いけばなは成人男子の学んでおくべきたしなみとされた。江戸中期になると、複雑な立花よりも手軽に生けられる「抛入花(なげいればな)」が好まれるようになり、一般住宅の床の間を飾る格調高く気品に満ちた「生花」様式が生まれた。
この頃から生花諸流派が次々創始され、家元制度も確立された。
いけばなの流行は浮世絵の世界にも影響。多くの絵師がいけばなを題材にした画を描きました。
江戸後期には男のたしなみから女のたしなみ(習い事)になった。
第4章 はなの器
いけばなの形が成立するまでは、むしろ花器そのものが賞玩の対象となり、高価で希少価値のある輸入品の銅器や青磁など、唐物の道具が珍重された。
花材選びはもちろん、器との取り合わせも大切。花と器の調和、さらには掛軸、屏風などとの調和も求められる。
エピローグ いけばなの近現代と広がり
明治維新により、いけばなの大きな支持層(パトロン)であった武家や商家が没落し、いけばなも一時衰退。しかし、西欧の花材や技法を導入したいけばなが創出され、女子の情操教育にも採り入れられたことから再び勢いを取り戻す。
生活様式の変化から盛花など住宅の応接間を飾るのに適した自由花の発展をもたらした。
大正期には雑誌・テレビで取り上げられ、さらに参加者層を獲得。
第二次世界大戦以前から活動の見られた「前衛いけばな」の動きは、新しい素材や理念をとりいれ、いけばなの領域を広げた。(草月流、小原流、未生流など)
玄関ロビーには各流派によるいけばな作品の展示も行われていました。
(草月流、古流松藤会、宏道流、池坊、龍生派、一葉式いけ花、小原流、そして最終週は清風瓶華↓)
【おまけ】
会場の江戸東京博物館は隣の国技館に似せた外観。
ロビーには大きな招福熊手。まだ正月ですものね。
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インターナショナルな街 港区 [東京 お出かけ]
港区は歩いていても普通に外国人を見かけ、インターナショナルな雰囲気を感じられる場所です。
外国人が多く住んでいるのでインターナショナルスクールもいくつかあります。
三田に黄色いバスを見つけました。
ホットドッグとかのトラック屋台のお店かと思ったらインターナショナルスクールのバスでした。
すぐそばにもう一つのインターナショナルスクール。入口ドアがロックされて警備が厳重です。
外国人が多い理由の一つに港区には大使館が多いことも挙げられます。2,30はあるのでは。
三田の慶應義塾大学の裏にはイタリア大使館。
元麻布の氷川神社の向かいにあるのはアルゼンチン大使館。
付近に西町インターナショナルスクールがあり、ちょうど下校時間でお迎えにきた外国人親と歩く子供たちや高級車で周辺はにぎやか。(私は見なかったけど、一緒にいた友人が樹木希林が運転する車に娘の内田也哉子と孫が乗っていたのを目撃)
ちょっと違うインターナショナルでは、東麻布の熊野神社の反対側のビル壁面に見覚えのある形の赤い線で描いたデザイン。
ディズニー・チャンネルのビルでした。デザインはミッキーの耳。
六本木二丁目の久國神社の鳥居のそばには韓国料理のお店があり、その隣には韓流ショップ。リュ・シウォンの大きなポスターが目印です。
さらに、六本木七丁目では「世界のMIFUNE」こと三船敏郎さんの世界観を表現した料理屋 三舩を偶然見つけました。
メニューには刀のイラスト入りで「サムライ大串」「七人の侍 豪快鶏料理」など時代劇で活躍された三船敏郎さんにちなんだ料理名が並んでいます。
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外国人が多い理由の一つに港区には大使館が多いことも挙げられます。2,30はあるのでは。
三田の慶應義塾大学の裏にはイタリア大使館。
元麻布の氷川神社の向かいにあるのはアルゼンチン大使館。
付近に西町インターナショナルスクールがあり、ちょうど下校時間でお迎えにきた外国人親と歩く子供たちや高級車で周辺はにぎやか。(私は見なかったけど、一緒にいた友人が樹木希林が運転する車に娘の内田也哉子と孫が乗っていたのを目撃)
ちょっと違うインターナショナルでは、東麻布の熊野神社の反対側のビル壁面に見覚えのある形の赤い線で描いたデザイン。
ディズニー・チャンネルのビルでした。デザインはミッキーの耳。
六本木二丁目の久國神社の鳥居のそばには韓国料理のお店があり、その隣には韓流ショップ。リュ・シウォンの大きなポスターが目印です。
さらに、六本木七丁目では「世界のMIFUNE」こと三船敏郎さんの世界観を表現した料理屋 三舩を偶然見つけました。
メニューには刀のイラスト入りで「サムライ大串」「七人の侍 豪快鶏料理」など時代劇で活躍された三船敏郎さんにちなんだ料理名が並んでいます。
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路地裏は面白ワールド [東京 お出かけ]
大通りからちょっと裏に入った路地裏は面白いもの、不思議なものにあふれています。
先日の港七福神めぐりの時に遭遇したオモシロ&フシギ。
麻布台の交差点角にはNOAビル
怪しげな要塞のような外観ですが、テナントビルだそうで中にはフィジー大使館も入っているらしい。
交差点から見える巨大な屋根の建物。「いんなあとりっぷ」の霊友会釈迦殿。
中に吸い込まれるように入っていき、しばし見学してしまいました。さすが、宗教団体の建物、引きつける力があります。
六本木四丁目の東京ミッドタウンそばにはヨーロッパの城に入っていく城壁のような壁。
階段を上がっていくとアスファルトで整地された駐車場でした。
ミッドタウンの脇にある玄品ふぐのビル。
離れてビルの屋上を見るとフグが乗っているではありませんか。ここは大阪か。
六本木七丁目、天祖神社の近くに洋館風の建物。
1階にその名もThe Barというバーが入っています。
お隣の昌楽亭というお店の屋根瓦には守護神(でしょうか)が乗っています。
元麻布の狸坂の途中、ステンドグラスがある洋館風のおうちを発見。
日本人の方が今も住んでいる住宅のようですが、メンテナンスが大変そう。
メンテナンスと言えば、この元麻布ヒルズの近くにあるビル、こんなに蔦がからんでいて建物が傷まないのかなぁ。(余計なお世話?)
麻布十番へ行くと、お地蔵さん(「ともちゃん地蔵」と指先大の「手びねり地蔵」)を見つけたり。
歩いていると、いろいろ面白いものが見つかりますね。だから楽しい。
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先日の港七福神めぐりの時に遭遇したオモシロ&フシギ。
麻布台の交差点角にはNOAビル
怪しげな要塞のような外観ですが、テナントビルだそうで中にはフィジー大使館も入っているらしい。
交差点から見える巨大な屋根の建物。「いんなあとりっぷ」の霊友会釈迦殿。
中に吸い込まれるように入っていき、しばし見学してしまいました。さすが、宗教団体の建物、引きつける力があります。
六本木四丁目の東京ミッドタウンそばにはヨーロッパの城に入っていく城壁のような壁。
階段を上がっていくとアスファルトで整地された駐車場でした。
ミッドタウンの脇にある玄品ふぐのビル。
離れてビルの屋上を見るとフグが乗っているではありませんか。ここは大阪か。
六本木七丁目、天祖神社の近くに洋館風の建物。
1階にその名もThe Barというバーが入っています。
お隣の昌楽亭というお店の屋根瓦には守護神(でしょうか)が乗っています。
元麻布の狸坂の途中、ステンドグラスがある洋館風のおうちを発見。
日本人の方が今も住んでいる住宅のようですが、メンテナンスが大変そう。
メンテナンスと言えば、この元麻布ヒルズの近くにあるビル、こんなに蔦がからんでいて建物が傷まないのかなぁ。(余計なお世話?)
麻布十番へ行くと、お地蔵さん(「ともちゃん地蔵」と指先大の「手びねり地蔵」)を見つけたり。
歩いていると、いろいろ面白いものが見つかりますね。だから楽しい。
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日本の近代 始めにあって今はなきものとは [学び]
先週の金曜は会社の社外講演会で慶應丸の内シティキャンパス(丸ビル内)の「夕学五十講」を受講してきました。
講師は東京大学大学院総合文化研究科のロバート・キャンベル教授。
ニューヨーク市生まれでUCバークレー校、ハーバード大学大学院を卒業された近世から明治時代の日本文学を専攻されているアイルランド系アメリカ人の方です。
容姿を見ずに話だけを聞いていると、まるで日本人。おまけに古文の変体仮名や漢文を読みこなされます。驚き。(日本在住、二十数年とのことですが、私も海外にそれだけ暮らすと英語ペラペラになるのかしらん)
キャンベル氏は、10代の頃、「とにかく外の世界に出たい!」という思いでレッスン用に持っていたフルートを親に黙って売ってフランスに渡り、2か月ほど現地でアルバイトをして生活したそうです。すごい決断力と行動力!
講演の要旨は、おおまかにいうと次のとおり。
幕末の時代から明治初期(最近話題の坂本龍馬の時代ですね)の日本人は、外からの文化を積極的に採り入れようとしていた。
その時代は、社会がせわしなくなり「時間の感覚」の変化が起こった。つまり、時間に価値観を見出すようになった。(‘時は金なり’ということですね)
また、「空間の感覚」にも変化が。社会的空間=世間がせまくなってきて、それまで曖昧だった「境界」という概念が生まれた。
一方で、現代の若者は自分たちの将来に漠然とした不安を抱き、失敗してもいいから自分で決めて何かをやろうとする姿勢に欠ける。
講演会に参加すると、講師の話の中から学ぶことも多いのですが、聞いた話が刺激になって普段は考えないことを自分なりに考える機会となるのがいいところ。
以下、私がつらつらと考えたこと。
(おおぐくりで語りますが)最近の若者。
“草食系男子”という呼び方もでてきましたが、弱体化しているような気がします。
いじめられたくないから無難に振舞う。仲間はずれにされたくないからケータイでしきりにメールして友人とつながっていようとする。未知の世界、リスクを避け海外旅行をしようとしない。
彼ら自身に起因するのかもしれないし、大人が若者を弱体化させたのかもしれない。
詰め込み教育から解放させようと「ゆとり教育」を始めたり。順位をつけるのはかわいそうだと運動会の駆けっこでは皆一緒に手をつないでゴールさせたり。先走って子供をかばう“モンスターペアレント”が登場したり。
人間は一人ひとりが違っていて当たり前なのに。(多様であることが社会の前提)
一つの正解を出すことは得意な日本人。現実に起きている事象を受け止め、そこから想像力を働かせて問題解決し新しい方向に向かっていくことのほうが必要だと思う。
【おまけ】
当日の午後は会社をお休み。表参道の行きつけのヘアサロンへ。
十数年ぶりにパーマをかけました。仕上がりは…似合っているのかわかりません。なにしろ、ずっとストレートだったので自分の髪形に見慣れなくて。(昔のアニメのサリーちゃんみたいです。通じる?)
今井美樹みたいなショートに軽くウェーブがかかった髪形が最近気になるんだけど、彼女みたいに顔の輪郭すっきり、頭の形もきれいじゃないしねぇ。
そして、講演会前に遅いランチ(早めの夕食)を新東京ビル地下のAfternoon Teaティールームで。
白かぶ、チキン、水菜、ほうれん草。白ごまと柚子こしょうのきいたクリームソースが絶妙。なかなか思いつかない組み合わせ。
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講師は東京大学大学院総合文化研究科のロバート・キャンベル教授。
ニューヨーク市生まれでUCバークレー校、ハーバード大学大学院を卒業された近世から明治時代の日本文学を専攻されているアイルランド系アメリカ人の方です。
容姿を見ずに話だけを聞いていると、まるで日本人。おまけに古文の変体仮名や漢文を読みこなされます。驚き。(日本在住、二十数年とのことですが、私も海外にそれだけ暮らすと英語ペラペラになるのかしらん)
キャンベル氏は、10代の頃、「とにかく外の世界に出たい!」という思いでレッスン用に持っていたフルートを親に黙って売ってフランスに渡り、2か月ほど現地でアルバイトをして生活したそうです。すごい決断力と行動力!
講演の要旨は、おおまかにいうと次のとおり。
幕末の時代から明治初期(最近話題の坂本龍馬の時代ですね)の日本人は、外からの文化を積極的に採り入れようとしていた。
その時代は、社会がせわしなくなり「時間の感覚」の変化が起こった。つまり、時間に価値観を見出すようになった。(‘時は金なり’ということですね)
また、「空間の感覚」にも変化が。社会的空間=世間がせまくなってきて、それまで曖昧だった「境界」という概念が生まれた。
一方で、現代の若者は自分たちの将来に漠然とした不安を抱き、失敗してもいいから自分で決めて何かをやろうとする姿勢に欠ける。
講演会に参加すると、講師の話の中から学ぶことも多いのですが、聞いた話が刺激になって普段は考えないことを自分なりに考える機会となるのがいいところ。
以下、私がつらつらと考えたこと。
(おおぐくりで語りますが)最近の若者。
“草食系男子”という呼び方もでてきましたが、弱体化しているような気がします。
いじめられたくないから無難に振舞う。仲間はずれにされたくないからケータイでしきりにメールして友人とつながっていようとする。未知の世界、リスクを避け海外旅行をしようとしない。
彼ら自身に起因するのかもしれないし、大人が若者を弱体化させたのかもしれない。
詰め込み教育から解放させようと「ゆとり教育」を始めたり。順位をつけるのはかわいそうだと運動会の駆けっこでは皆一緒に手をつないでゴールさせたり。先走って子供をかばう“モンスターペアレント”が登場したり。
人間は一人ひとりが違っていて当たり前なのに。(多様であることが社会の前提)
一つの正解を出すことは得意な日本人。現実に起きている事象を受け止め、そこから想像力を働かせて問題解決し新しい方向に向かっていくことのほうが必要だと思う。
【おまけ】
当日の午後は会社をお休み。表参道の行きつけのヘアサロンへ。
十数年ぶりにパーマをかけました。仕上がりは…似合っているのかわかりません。なにしろ、ずっとストレートだったので自分の髪形に見慣れなくて。(昔のアニメのサリーちゃんみたいです。通じる?)
今井美樹みたいなショートに軽くウェーブがかかった髪形が最近気になるんだけど、彼女みたいに顔の輪郭すっきり、頭の形もきれいじゃないしねぇ。
そして、講演会前に遅いランチ(早めの夕食)を新東京ビル地下のAfternoon Teaティールームで。
白かぶ、チキン、水菜、ほうれん草。白ごまと柚子こしょうのきいたクリームソースが絶妙。なかなか思いつかない組み合わせ。
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もう一つの港七福神めぐり [東京 お出かけ]
先週の港七福神めぐり。
港区は本当に坂の多いところで、歩く距離以上に疲れます。
では、坂道をたどってみます。
マンションのある白金を出発し、集合場所の赤羽橋に向かう途中、慶應義塾大学やイタリア大使館の近くにあるのが綱坂。
東京タワーのふもとの土器坂を上りきると麻布台。
この辺りはちょっと行くと次々と坂があります。
階段になった坂を一般に雁木坂と言うそうです。
少し行くと六本木一丁目の泉ガーデンタワーが見晴らせるさんねん坂。ヨガのポーズみたいな彫刻をした石柱があります。
赤坂方面から往来する人が行きあう位置にあるので名前がついたという落合坂。
泉ガーデン前の首都高速の下には行合坂。(双方から行合う道の坂)
国立新美術館の近く、六本木七丁目の天祖神社のそばには下りの階段に空間をさえぎるように桜の木が。ブロック塀にめり込んでいます。
元麻布も坂道だらけ。もう大変。
タヌキが出没したと言われる狸坂。
上りきったところは坂が四つ合流する接点。
一つは狸坂。あとは一本松坂(案内柱を見逃した)、暗闇坂(樹木が暗いほど生い茂った坂)、大黒坂(坂道の中ほどに大黒天を祀る大法寺があったため)。
大黒坂の途中から脇に下るのは七面坂(坂の東側にあった本善寺に七面大明神の木像が安置されていたため)。
まっすぐ行くと大通りに突き当たります。
平面の地図を見ているだけではわからない起伏。
アップダウンは足にはキツイけど、坂の名前の由来などを味わいながら歩くのは楽しい。
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では、坂道をたどってみます。
マンションのある白金を出発し、集合場所の赤羽橋に向かう途中、慶應義塾大学やイタリア大使館の近くにあるのが綱坂。
東京タワーのふもとの土器坂を上りきると麻布台。
この辺りはちょっと行くと次々と坂があります。
階段になった坂を一般に雁木坂と言うそうです。
少し行くと六本木一丁目の泉ガーデンタワーが見晴らせるさんねん坂。ヨガのポーズみたいな彫刻をした石柱があります。
赤坂方面から往来する人が行きあう位置にあるので名前がついたという落合坂。
泉ガーデン前の首都高速の下には行合坂。(双方から行合う道の坂)
国立新美術館の近く、六本木七丁目の天祖神社のそばには下りの階段に空間をさえぎるように桜の木が。ブロック塀にめり込んでいます。
元麻布も坂道だらけ。もう大変。
タヌキが出没したと言われる狸坂。
上りきったところは坂が四つ合流する接点。
一つは狸坂。あとは一本松坂(案内柱を見逃した)、暗闇坂(樹木が暗いほど生い茂った坂)、大黒坂(坂道の中ほどに大黒天を祀る大法寺があったため)。
大黒坂の途中から脇に下るのは七面坂(坂の東側にあった本善寺に七面大明神の木像が安置されていたため)。
まっすぐ行くと大通りに突き当たります。
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アップダウンは足にはキツイけど、坂の名前の由来などを味わいながら歩くのは楽しい。
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北欧デザインハウス [ショップ&買い物]
六本木ヒルズのレジデンス棟のショップの中に北欧デザインハウスが入っているのを発見。(表参道ヒルズにあるのは知っていましたが)
スカンジナビア系デザインは増殖中。というか日本に定着した感じでしょうか。
店内の一角に白い柵のようなもので囲まれた空間が。
のぞきこむと地下に降りる階段になっていました。
それすらも素敵なデザイン。
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スカンジナビア系デザインは増殖中。というか日本に定着した感じでしょうか。
店内の一角に白い柵のようなもので囲まれた空間が。
のぞきこむと地下に降りる階段になっていました。
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