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KitKat ご当地もの [定点観測 KitKat & more]

KitKatのご当地お土産シリーズ

小江戸川越 さつまいも味
20091101 KitKat川越さつまいも味.JPG

江戸の面影を残し‘小江戸’と呼ばれる川越。
昔からさつまいもを焼芋にしておやつとして食べていたそうです。香ばしい風味。
羽田空港でお買い上げの品。NHKの朝ドラの舞台になっていた川越にもいつか行ってみたいな。

栃木限定販売 とちおとめ
20091120 KitKatとちおとめ.jpg

11月に栃木のゴルフ場に行った帰りの高速のサービスエリア売店でお買い上げ。

いちごに関する知識。(パッケージの説明より)
・苺はバラ科の多年草の果実で南アメリカ原産
・日本へは江戸後期にオランダから伝わった。明治初期にはフランス、アメリカ、イギリスからも品種が導入され、品種改良が行われた。
・「とちおとめ」は大粒で酸味が少なく、強い甘みが特長の栃木生まれの品種。果肉はやわらかく、果汁もたっぷり。

静岡・関東土産 田丸屋本店わさび
20091128 KitKatわさび.jpg

こちらは富士山バスツアーの帰りに海老名サービスエリアの売店で見つけたもの。

わさびのひとくち話(パッケージの説明より)
・本わさびの学名はワサビアジョポニカと言い、原産地は日本。
・大根や蕪と同じアブラナ科。
・わさびの栽培は、今から400年前、慶長年間(1596~1615年)に現在の静岡市有東木で始まり、その後、各地へ広まった。
・田丸屋本店とは、静岡名産のわさび漬で有名な明治8年創業のお店。

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Le Pommier シャモニー [レストラン&フード]

私の身体には“グルメ・センサー”がついているのかも。
南青山から白金まで歩いて戻るとき、無意識にルートを変えて麻布十番に向かっていた。
そのとき思いついた。たしか、「モンブラン大図鑑」にパティスリー ル・ポミエ 麻布十番店が掲載されていたな、と。

で、こちらが紹介されていたシャモニーというモンブラン。

20091219 ル・ポミエ シャモニー&タルトタタン.JPG

金粉をあしらったマロングラッセが頂上に、ラム酒をきかせたマロンクリームがグニャグニャと山を形成。シャモニー(Chamonix)とはフランス南東のモンブランの北麓にある町。

一つではさびしいのでタルトタタンもお買い上げ。
(えーと、おことわりしておきますが、私がスイーツを食べるのはおやつではなく、夕食や朝食の主食としてです)

リンゴたっぷりで大満足。
イギリスにいた頃、上司だったベルギー人(元ホテルのシェフ)がクリスマスに自宅に招いてくれてお手製のタルトタタンをサーヴしてくれながら、そのお菓子の由来を説明してくれたのを思い出します。

北沢店ではお菓子教室を開催しているそうです。

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SOU・SOU 足袋 青山店 [ショップ&買い物]

少し前から気になっていた南青山FROM-1stビルに入っているショップ、SOU・SOU

会話の中で日本人がよく使う相づち「そう、そう」が店名の由来。京都が本店です。

JAPAN MADEの地下足袋を今風にアレンジしてスニーカーやブーツに仕上げています。足袋なのでちゃんとコハゼもついています。

20091219 南青山SouSou1.JPG

ルームシューズやバッグも展開。
足先が割れた地下足袋用に足袋ソックスもデザイン豊富に揃えています。

20091219 南青山SouSou2.JPG

私が買ったのはこちら。

20091219 南青山SouSou3.JPG

この季節、和服を着た時に草履だと足先が外気に触れて指先が冷たくなるけど、このツッカケ仕様だと暖かいかな、と思って。そして雪の結晶デザインの足袋ハイソックスも。
先日行った「横森美奈子の利休BAG展」で久しぶりに着物に接してから、和服が着たくなったんですよねぇ。もちろんカジュアルなスタイルでだけど。

さて、東京での着物デビューはいつ?

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Anniversary バラのショートケーキ [レストラン&フード]

情報誌の特集「モンブラン大図鑑」で知ったお店。南青山コレッツィオーネというビルの1階奥にあるパティスリー アニバーサリー 青山店

根津美術館に行ったあとに立ち寄り、ティータイム。

夕方のため、本命のモンブランはすでに売り切れ。
かわりにラブリーなバラのショートケーキと、クランベリーやハイビスカスも入った赤いホットレモネードをいただきました。

20091219 アニバーサリー バラのケーキ.JPG

店内はながめているだけで幸せな気持ちになれるシュガーデコレーションのケーキのサンプルがいっぱい置かれ、とっても乙女チック。

20091219 アニバーサリー.JPG

やっぱり“栗モノ”が食べたかったので、お持ち帰り。

20091219 アニバーサリー栗スイーツ1.JPG

栗チョコは、裏ごしした栗を丸め、チョコレートでコーティング。
マロンコロンは、和栗ペーストと渋皮付きの栗を混ぜたマロンクリームをメレンゲでサンド。

20091219 アニバーサリー栗スイーツ2.JPG

他に、栗のマドレーヌ栗のおしるこもあり、和のテイストも楽しめるパティスリーです。

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根津美術館の庭園 [東京 お出かけ]

根津美術館は新しくなった建物や展示ももちろん見所ですが、広大な日本庭園も有名です。

B1階の茶室口から庭園をめぐってみました。

20091219 根津美庭園1.JPG

ところどころに仏像、石像が設置されています。

20091219 根津美庭園2.JPG

庭園の中心によこたわる大きな池の両側に茶室が点在します。

20091219 根津美庭園5.JPG

四季の草花、樹木も楽しめます。
20091219 根津美庭園7.JPG

何気なく古美術品が置かれています。
20091219 根津美庭園8.JPG

鄙びた風情の屋形船 20091219 根津美庭園9.JPG

何かのまじないでしょうか?
20091219 根津美庭園11.JPG

NEZUCAFEの建物のはるか向こうには六本木ヒルズのビルも見えます。

20091219 根津美庭園12.JPG

南青山の都会の真ん中に贅沢な空間です。さすが、大実業家のお庭。

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根津青山の茶の湯 [アート&デザイン]

根津美術館 新創記念特別展 第2部「初代根津嘉一郎の人と茶と道具 根津青山の茶の湯を観てきました。 

20091219 根津青山の茶の湯.jpg

青山と号した初代根津嘉一郎が蒐集した数多くの美術品。
それらを公開する機会となったのが茶会であり、のちに根津美術館を開くこととなりました。

今回の特別展ではいくつかの茶会の道具組みを展示してあります。構成順に記録。

(1)庭園講評会 大正2年10月8日
1905年に南青山の土地を入手し、荒地だった土地を庭園にし、庭園好きの山縣有朋に講評してもらうため、益田鈍翁や高橋箒庵らを招いた際に客間に古美術品の蒐集品を飾り付け披露した。

青山の茶の湯の世界へのデビューは大正7年(59歳のとき)で、邸内にある無事庵と弘仁堂において連日催した茶会は「根津氏の初陣茶会」として知られています。

(2)歳暮茶会(壺割茶会) 大正11年12月26日
青山は歳暮茶会を好んだため「歳暮茶博士」と称されたそうです。
「壺割茶会」と呼ばれた所以は、小間の床に飾られた信楽の大壺を「打割って使ったほうがいい」との高橋箒庵の助言に従い、青山が人に託して壺を割らせ、白玉椿と寒菊を生けたところから。
これは紹鴎が利休の茶会に赴き花入れの耳を鉄槌で打欠こうとした故事にちなんだこと。

(3)斑鳩庵初風炉 昭和12年6月6日

(4)軽井沢薪木庵 昭和9年8月17日

(5)弘仁堂残茶 昭和4年10月26日

(6)熱海不寒庵 昭和4年1月5日

(7)夕陽茶会 斑鳩庵開炉 大正13年11月13日

(8)歳暮茶会 昭和14年12月23日

茶の湯の愉しみは和菓子とお抹茶をいただくことにもありますが、道具組みや銘などからその日の茶事の趣旨などに思いを馳せることも楽しみです。

さて、コレクション展は
・国宝鶉図と中国の花鳥画
・仏教彫刻の魅力
・古代中国の青銅器
・蒔絵の調度 江戸蒔絵の名品
・宝飾時計
・雪見の茶
 シュンシュンと釜の湯がたぎる音を聴きながら、雪が降り積もる雪景色を楽しむ茶事。四季折々、年中いつでもその時々での愉しみを見つける。

                    20091219 根津美術館.JPG

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熊倉功夫氏講演会 「根津青山の茶の湯」 [学び]

根津美術館 新創記念特別展 第二部「根津青山の茶の湯」展に合わせて開催された特別講演会。林原美術館館長の熊倉功夫氏のお話を聞きました。

NHK教育テレビの茶道関係の番組で何度も拝見していましたが、実際に肉声を聞くと、本当に穏やかな話しぶり。つい、途中で眠りに落ちてしまいました(反省)

講演のテーマは 「明治後期から昭和15年までの半世紀の間、日本の茶の湯がいかに豊かなものを生み出したか」

千利休や秀吉たちが活躍した桃山時代に栄えた茶の湯。
大名により支えられていた茶の湯は明治維新により変化。三千家の家元には弟子がいなくなるなど、茶人の衰退が始まったのが明治のはじめのこと。

しかし、明治20~30年代になると生業としての茶人による茶の湯から、趣味として茶を楽しむ数寄者のなかで茶の湯が盛んになる。
以降、昭和15年くらいまでのおよそ半世紀が数寄者による日本の茶の湯が栄えた時代

数寄者(茶をたしなむ人、風流な人)は“モノ好き”に通じ、さまざまな茶道具、調度品を手に入れた。そして、お互いが主催する茶会に招き合い、道具類を披露し批評し合った。
そんな数寄者として挙げられるのが、益田鈍翁高橋箒庵根津青山(初代根津嘉一郎の号名)ら。
彼らは田舎から都会に出てきて事業で成功、財を成した人が多く、成功の暁には新しい国家を築きたい、健全な若者を育てたいという高い志を持っていたそうです。(根津嘉一郎は山梨県出身で、のちに武蔵野高校を設立)

そんな数寄者たちが“桃山時代”を復活させたが、昭和15年は茶の湯における転換点となる。

理由1:昭和12年から14年にかけて根津青山、高橋箒庵らが亡くなり、
理由2:昭和15年に日本の税制改正が行われ、個人所得に対する課税や相続税が多く課されるようになり、
戦後、数寄者が減少。数寄者の存在が社会的に許されなくなった。
それまでは事業の成功により得た個人財産を自由に使えた時代であり、その使途は個人消費のみならず慈善活動にも及んだが、法改正によりそれができなくなった。

講演の参考資料として、高橋箒庵が根津青山の茶会にまつわる話を書いた書物のコピーが配付され、熊倉氏の解説を聞いたあとで実際に茶会で使われた茶道具や器を見るとますます理解が深まり、味わいも出てきます。

講演で私が最も興味深く思った内容は、国の法制度の改正が経済活動や文化活動に多大な影響を与えたこと。(日本の文化財産はある意味、数寄者と言われた実業家や財閥家の人たちによって守られ、支えられていた)

また、山梨大学 教育人間科学部の齋藤康彦教授は、大寄せ茶会などの会記の内容(出席者)から、近代数寄者たち(実業家)の交流・当時の経済人たちのヒューマンネットワークについて研究されている、という話も今までにない視点で非常に新鮮に感じた。

アプローチを変えるといろんな事象がイキイキと浮かび上がってくる。今回の講演会参加の収穫。

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